2026/09/26

Minolta Pocket Autopack 430E

2001.11.04撮影

  このカメラには、いろいろと思い出がある。
私にとって、初めてのカメラである。

ミノルタのポケットオートパック430E。
値段は、たしか1万円くらいだったと思う。

駅の近くにあったアオイカメラ。
今はもうないその店で買ったような気がする。

なぜカメラが欲しかったのか。
鉄道写真を撮りたかったからだと思う。

5年生になりたての頃、
同級生に110ポケットカメラを持っている子がいた。

駅に入場券を買って入り、電車の写真を撮っていた。
鉄道好きで、気さくな子だった。
私が唯一、話のできる子だった。

写真やカメラを見せてもらっているうちに、
私もその子と同じようなタイプのカメラが欲しくなった。

フィルムの装填がカートリッジ式で、
自分にもできそうだと感じたのだろう。
35ミリタイプでは、フィルムを装填する自信がなかった。

私の家は本家ということもあり、
親戚一族の集まりがしょっちゅうあった。
そしてなぜかカメラ好きが多かった。

撮影やフィルム装填の様子を見ていた。
それも理由のひとつだったのかもしれない。

カメラ屋までは母親と行ったことは覚えているが、
このカメラを、
誰がお金を出してくれたのかは覚えていない。

今までのクリスマスプレゼントで最高でも、
3,980円くらいだったと記憶している。
たぶん、祖父がお金を出してくれたのだと思う。

4年生の11月、
田舎のほうの小学校から、街中の小学校へ移った。
家も分家から本家に移った。

そこには、すでに出来上がった人間関係があった。

街中の子供は、どこか違う。
田舎の小学校とは、ずいぶん雰囲気が違っていた。

よそ者に対する敵意というものを、
子供の世界で初めて知った。

私を目の敵にする子がいた。
ひとりの女子は、なぜか親切にしてくれた。

それが気に入らなかったのか、
嫉妬する男子までいた。

その女子は、今思えば美少女だった。
そんなことも、今になって思い出す。

みんながお互いを知っている場所に、
ひとりだけ知らない人間として入っていく。

転校生というだけで、目立つ。
それは身をもって知った。

私はいつも誰かと一緒にいるような子ではなかった。
ひとりでいることが多かった。

なぜいじめられるようになったのかは、
今でもよく分からない。

転校する前の学校では、愛鷹で宿泊訓練があった。
私は普通に参加した。

ところが転校した翌年、また宿泊訓練があった。
今度は朝霧だった。

「またかよ」と思った。

転校してようやく少し慣れてきた頃に、
学年が上がり、クラス替えがあった。

それから4か月。
私は、まだ新しい仲間に馴染めていなかった。

いつの間にか、女子の集団からいじめられていた。

その状態で、2泊3日の集団生活である。

嫌だった。
どうしても行きたくなかった。
泣いた。

そして最後には、自宅のトイレに逃げ込んだ。
便器にしがみついて、行きたくないと抵抗した。

親も祖父母も困ったのだと思う。
出発の時間は迫っていた。

だから、学校へ電話したのだろう。

担任の女性の先生が、家まで来た。

それまで、私がカメラを欲しいと言っても、
母親は受け流していた。

それが、この時ばかりは違った。
先生のいる前で、母親は言った。

「宿泊訓練に行って帰ってきたら、
カメラを買ってあげるから!」

私は、それで渋々行ったのだと思う。

あの頃は、嫌だから行かないということが、
今ほど簡単ではなかった。

学校へ行く。
行事にも行く。

そうするものだった。

そして、夏休み明け。

その話が同級生の間に広まった。
どこから漏れたのだろう。
あのことを知っているのは、
学校と家族くらいだったはずだ。

「甘えている」

「カメラなんて買ってもらってよー」

「わがままだ」

そんな言葉を、私は浴びせられた。

トイレに逃げ込み、
便器にしがみついて泣いたことも知られていた。

いつしか私は、「便所マン」と呼ばれるようになった。

そこから、今度は男子の
集団からのいじめにつながっていった。

カメラを買ってもらった時のことを思い出すと、
その頃のことまで一緒に出てくる。

このカメラは、もう手元にはない。
どこへ行ってしまったのかも覚えていない。

残っているのは、この写真だけだ。

430Eを手に入れてから21年後、
私は、このカメラを写真に撮っていた。
気まぐれだったのだと思う。

それを見ると、1980年の夏が戻ってくる。
あの頃の自分も、まだそこにいる。

今でも人付き合いは得意ではない。
そのあたりは、ほんと変わっていない。

写真の方も、変わらずずっと撮っている。

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