Minolta Pocket Autopack 430E
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| 2001.11.04撮影 |
このカメラには、いろいろと思い出がある。
私にとって、初めてのカメラである。
ミノルタのポケットオートパック430E。
値段は、たしか1万円くらいだったと思う。
駅の近くにあったアオイカメラ。
今はもうないその店で買ったような気がする。
なぜカメラが欲しかったのか。
鉄道写真を撮りたかったからだと思う。
5年生になりたての頃、
同級生に110ポケットカメラを持っている子がいた。
駅に入場券を買って入り、電車の写真を撮っていた。
鉄道好きで、気さくな子だった。
私が唯一、話のできる子だった。
写真やカメラを見せてもらっているうちに、
私もその子と同じようなタイプのカメラが欲しくなった。
フィルムの装填がカートリッジ式で、
自分にもできそうだと感じたのだろう。
35ミリタイプでは、フィルムを装填する自信がなかった。
私の家は本家ということもあり、
親戚一族の集まりがしょっちゅうあった。
そしてなぜかカメラ好きが多かった。
撮影やフィルム装填の様子を見ていた。
それも理由のひとつだったのかもしれない。
カメラ屋までは母親と行ったことは覚えているが、
このカメラを、
誰がお金を出してくれたのかは覚えていない。
今までのクリスマスプレゼントで最高でも、
3,980円くらいだったと記憶している。
たぶん、祖父がお金を出してくれたのだと思う。
4年生の11月、
田舎のほうの小学校から、街中の小学校へ移った。
家も分家から本家に移った。
そこには、すでに出来上がった人間関係があった。
街中の子供は、どこか違う。
田舎の小学校とは、ずいぶん雰囲気が違っていた。
よそ者に対する敵意というものを、
子供の世界で初めて知った。
私を目の敵にする子がいた。
ひとりの女子は、なぜか親切にしてくれた。
それが気に入らなかったのか、
嫉妬する男子までいた。
その女子は、今思えば美少女だった。
そんなことも、今になって思い出す。
みんながお互いを知っている場所に、
ひとりだけ知らない人間として入っていく。
転校生というだけで、目立つ。
それは身をもって知った。
私はいつも誰かと一緒にいるような子ではなかった。
ひとりでいることが多かった。
なぜいじめられるようになったのかは、
今でもよく分からない。
転校する前の学校では、愛鷹で宿泊訓練があった。
私は普通に参加した。
ところが転校した翌年、また宿泊訓練があった。
今度は朝霧だった。
「またかよ」と思った。
転校してようやく少し慣れてきた頃に、
学年が上がり、クラス替えがあった。
それから4か月。
私は、まだ新しい仲間に馴染めていなかった。
いつの間にか、女子の集団からいじめられていた。
その状態で、2泊3日の集団生活である。
嫌だった。
どうしても行きたくなかった。
泣いた。
そして最後には、自宅のトイレに逃げ込んだ。
便器にしがみついて、行きたくないと抵抗した。
親も祖父母も困ったのだと思う。
出発の時間は迫っていた。
だから、学校へ電話したのだろう。
担任の女性の先生が、家まで来た。
それまで、私がカメラを欲しいと言っても、
母親は受け流していた。
それが、この時ばかりは違った。
先生のいる前で、母親は言った。
「宿泊訓練に行って帰ってきたら、
カメラを買ってあげるから!」
私は、それで渋々行ったのだと思う。
あの頃は、嫌だから行かないということが、
今ほど簡単ではなかった。
学校へ行く。
行事にも行く。
そうするものだった。
そして、夏休み明け。
その話が同級生の間に広まった。
どこから漏れたのだろう。
あのことを知っているのは、
学校と家族くらいだったはずだ。
「甘えている」
「カメラなんて買ってもらってよー」
「わがままだ」
そんな言葉を、私は浴びせられた。
トイレに逃げ込み、
便器にしがみついて泣いたことも知られていた。
いつしか私は、「便所マン」と呼ばれるようになった。
そこから、今度は男子の
集団からのいじめにつながっていった。
カメラを買ってもらった時のことを思い出すと、
その頃のことまで一緒に出てくる。
このカメラは、もう手元にはない。
どこへ行ってしまったのかも覚えていない。
残っているのは、この写真だけだ。
430Eを手に入れてから21年後、
私は、このカメラを写真に撮っていた。
気まぐれだったのだと思う。
それを見ると、1980年の夏が戻ってくる。
あの頃の自分も、まだそこにいる。
今でも人付き合いは得意ではない。
そのあたりは、ほんと変わっていない。
写真の方も、変わらずずっと撮っている。
ラベル: 長い文章

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