11/01/2009

さなぎのままで ─ 変わらなかった10月の断片


   2001年10月26日(金)

晴れ。給料日。
通帳に並んだ数字を眺めて、ひと息ついた。
理由はない。ただ、人は数字に慰められることがある。

せっかくだから──と、
ふと思い立って変態について考えてみた。

昆虫には、完全変態と不完全変態があるという。
蝶やカブトムシのように、
さなぎを経て姿を変えるのが完全変態。
幼虫と成虫では、食べるものさえ違う。

一方、不完全変態の昆虫は、さなぎの時期を持たず、
脱皮を繰り返してそのまま大人になる。
バッタやカマキリがそうだ。

昨日、ベランダの角で見かけたカマキリは、
今ごろどこにいるのだろう。

じっと一点を見据え、こちらには目もくれなかった。

人間の僕はというと、どうやら完全変態型らしい。
かつて、ある女性にそう言われたことがある。

褒め言葉ではなかったが、
反論する気にもなれなかった。

変わったようで、何も変わっていない──
それが僕の「さなぎ」の正体かもしれない。

2001年10月28日(日)

朝から雨。昼を過ぎてもやまない。
部屋にこもって、日記帳
ホームページのレイアウトをいじった。

無意味なようで、妙に落ち着く作業だ。
画面と向き合っていると、時間がすり抜けていく。

妹に頼んでおいたチョコレート菓子が山ほど届いた。
卵型のチョコに、小さな
動物のフィギュアが入っている。
シリーズ第5弾らしい。

こういう無駄が、どうしても捨てられない。

夕方、パソコンをつけると、
いつもの相手がネットの向こうにいた。
長く話すわけではない。
けれど、こちらが沈んでいる
ときに限って、なぜかそこにいる。
それだけで少し気持ちが軽くなった。

夕飯はとろろ。
粘り気のあるものは苦手だ。
食べものの問題というより、
食べている自分が情けなく思えるだけだ。

あさって、水曜日は有給をとった。
友人と出かける予定がある。
行きたいのかどうか、自分でもよくわからない。

2001年10月29日(月)

朝から暑い。左の頭と肩が重く、体調はいまひとつ。
風邪をひかないタイプだと
思っていたが、そうでもないらしい。

昼、在庫を数えていて中指をカッターで切った。
今もキーボードを打つたびに、痛みが走る。

どうにもならない一日だったが、
部屋の隅のギターを取り出し、Bマイナーを鳴らしてみた。
その響きに、少しだけ救われる。

 「僕の息、においますか?」

ニラを食べすぎたせいで、そんな独り言をこぼした。
 
誰に向けたのか、自分でもわからない。
笑えるのに、どこか静かな夜だった。

2001年10月30日(火)

晴れのち曇り。
風邪は少しよくなったが、喉の奥がまだ痛む。

子どものころから、扁桃腺を
やられるとすぐ熱が出る癖がある。

月末の在庫調べ。
数字を追ううちに、会社の売り上げが
あまり芳しくないことが見えてくる。

あまり考えないようにしても、
ふと将来のことを思ってしまう。
 
このままでは、いつか出稼ぎで
遠い国に行くのかもしれない
──中国とか、台湾とか。

帰宅してテレビをつけると、
失業率5.3%という数字。

中指の傷はまだ痛む。
そのせいか、今日の心は
ずっとBマイナーのままだった。

ギターを手に、昔の唄を口ずさむ。

   金がなければくよくよします
 女にふられりゃなきまする
 腹が減ったらおまんまたべて
 命つきればあの世行き

リズムはゆるい8ビート。
簡単な歌詞だけれど、今の気分にはちょうどよかった。

2009年11月1日(日)

晴れのち曇りのち雨。
午前、蓮花寺池公園をぐるりと一周した。
取り立てて楽しくもないが、悪くもなかった。
ただ歩くことが、ひとつの救いのように思えた。
 
午後は昼寝。眠ったというより、横になっていただけ。
それでも体が少し軽くなった。
 
夕方、古本屋に寄り、文庫を二冊。
誰が読んでもどうということのない本。
けれど、ページをめくるだけで安心する。
 
店を出ると、雨。傘は持っていなかった。
濡れながら歩く。
口の中で「トホホ」という言葉が転がった。
そんな言葉がまだ自分の中に残っていたことに、
少し驚いた。

ラベル:

10/24/2009

陰気くんの観察日和

2001年10月21日(日)

「いじくりまくり」

曇天。終日ネット。
夕方、少しだけ外に出たが、
それも一瞬だった。

帰ってきたら、目が赤い。
見事に充血している。
が、あまりにも
時間があり余った暇状態なので、
この日記帳をあれこれ
いじくっていた。

訪問者は皆無なのに、
カウンターをつけてみたり、
ゲストブックを試してみたり。
――何やってるんだろう、僕。

でも、意外と楽しい作業だった。
パズルのような、
ちょっとした図画工作のような。
普段は使わない脳の部分が、
そこだけ明かりを灯している。

もっと、いじってみよう。
風変わりなホームページを作ってみたい。
既成概念にあまり囚われず、
少しずつ、ゆっくりと。

親父が友人と和歌山へ
旅行に出かけた。
帰ってくるのは
火曜日の夜らしい。

饒舌な人がいない家は、
不自然なくらい静かだ。

男は僕一人。
いや、犬もいたな、
オスだった。
母と妹の声に、
やや押され気味な僕。
男は、つらい。

2001年10月22日(月)

「無題」

書くことがない。
うん……悲しいな。

静岡新聞の「大自在」は、
なぜか毎日読んでしまう。
あのコラムはすごいと思う。
毎日、あれだけの文字を
絞り出すのは大変なことだ。

天気は曇りから雨。
朝のSBSラジオの天気予報は、
僕にとって携帯電話並みのインフラだ。

ほとんど依存といっていい。
逃すものかと耳を澄ます。
今日もラジオの向こうで、
天気が読み上げられていく。

車で行って良かった。
バイクだったら濡れていた。
書くことがない。
うん……悲しいな。

2001年10月23日(火)

「御手洗、あるいはおとこおんな」

今日は妙に暑かった。
霜どころではない。
背中をつたう汗が、
季節の感覚を狂わせる。
衣服の選び方が難しい。
季節が思い出し笑いのように戻ってくる。
でも、嬉しいことが二つあった。

▼一つめ。
夕食がスパゲッティだったこと。
山盛りのオレンジ色の
ミートソースに、思わず目を細める。
かつてはケチャップをまぶすタイプの
喫茶店ナポリタン派だったけれど、
いまは断然ミートソース。

嗜好というものは、
年齢とともに静かに移ろっていく。
いつかは、豚の脂身ですら、
うまいと思う日がくるのだろうか。

▼二つめ。
日記を公開にしてから、
初めて知らない女性からメールが届いた。
僕の1ヶ月分を読んでくれたという。

一瞬、何か文句でも
書かれてるのかと身構えたが、
ほとんどが好意的な内容だった。

正直、ほっとした。
僕のこの一日一文は、
街角の公衆トイレの壁に
たまにある落書きのようなものだと思っている。
誰にも読まれないかもしれないし、
読むことで気分を害する人も
いるかもしれない。

でも、そういうところにしか
文字を置けない人間も、いるのだ。

スカパーで
『眠狂四郎無頼控・魔性の肌』を観た。
お色気と虚無が共存している映画。
僕はこういうのが好きだ。
たぶん、他人からは、しかめっ面される
タイプの人間なのだろう。

でも、ジメジメしたものを
好むのだから、しかたがない。
明日もまた、十人十色の
世界と向き合うために。
寝ることにする。
おやすみ。

2001年10月24日(水)

「鋭い軽さ鈍い重さ」

天気晴れ。
今日の作業は、
地味で、単調で、
それでも妙な集中力を要した。
なにかを整えて、
洗って、揃えていく。

黙々と作業するうちに、
言葉は頭の中から
静かに姿を消していった。
手と目が、ささやかな律動を刻む。

僕の勤める会社は、ものをつくっている。
工芸品、とだけ言っておこう。
製造の過程は、お祭りの裏方のように、
人知れず慌ただしい。
汗と微笑のあいだで、
何かが淡々と流れていく。
でも、悪くない。
イヤなことも忘れられるし、
時間の経過も早い。

ただ、腕は筋肉痛だ。
中島誠之助さんがいたら、
たぶん言ってくれると思う――
「いい仕事してますね」って。

日記に批判のコメントが届いた。
でも、僕は変えるつもりはない。
この日記は、僕の
陰気ワールドの一部であり、
読まれなくても書き続ける類のものだ。

世界は十人十色。
それが世の中の
おもしろいところで、
難しいところでもある。

サーカスのピエロが好きだ。
メインとメインの隙間をつなぐ、
あの孤独な道化。
何でもない顔をして、間を保つ。
僕の日記帳も、そんな
役割を担ってくれればと思う。

「あなたのネットサーフィンの合間に、
ほんのひとときでも、
やわらかな気配が生まれるなら──
これ以上の幸いはありません」 

2009年10月24日(土)

「Oさんのこと」

ウェブログ、久しぶりの更新。
書く力は、相変わらずどこかへ置いてきたままだ。

ただ、どうしても今日は、
少しだけ書きたくなった。

昨日、Oさんが定年を迎えた。
僕にとっては、ただの上司ではない。

丁寧な説明、的確な助言、
そして冗談のセンス。
馬鹿な僕でも、Oさんの話は
いつも腑に落ちた。

「ひとつの時代が終わった」

社長が朝礼でそう言った時、
めずらしく僕も頷いた。

リストラ寸前の僕に、Oさんはわざわざ来て、
深々と頭を下げてくれた。

「陰気くん、お世話になりました」

その言葉は、僕が言うべきものだったのに。

Oさん。僕がこの先、
またどこかでくじけそうになったら、
あなたのあの言葉を思い出します。

「がんばって、陰気くん」

お世話になりました。

ラベル:

10/20/2009

塀のない家


 2001年10月19日(金)

「おいべっさん」

朝、空気がやけに冷たかった。
顔を洗ってベランダに出ると、
肺がびっくりしたように呼吸した。
 
思わず「寒い朝」なんて口ずさんでしまう。
自分の口から昭和が出てきた気がして、
ちょっと恥ずかしかった。

「こころひとつであたたかくなる〜♪」
 
なんて歌いながらも、実際のところ、
心が二つあっても寒いものは寒い。
カタカナで言えばサムインダー。
言ってみても寒い。

それでも、バイクで通勤するにはいい陽射しだった。
風が強いが、向かい風も挨拶みたいな
もんだと思えば、悪くない。

今日から作業服は長袖。袖を通した瞬間、
刑務所の匂いがした。
もちろん入ったことはない。
たぶん前世の記憶か、映画の影響か。

仕事は相変わらず。黙々と、
時々ぼんやり、たまにサボる。
労働なんてのは、そのくらいがちょうどいい。
真面目にやりすぎると、心まで摩耗する。

今週はトイレ掃除の当番だった。
夕方4時半から20分間、後輩のHと便所に入る。
これは仕事というより、儀式だ。
実際には水をまいただけで終わった。
掃除というより、口裏合わせである。

会社を出ると、やけに道が混んでいた。
クラクションとエゴと鉄の箱がぶつかりあう、
金曜夜の祭典。
家の前も見事に渋滞していた。

何事かと思えば「おいべっさん」──
地元のえびす講だった。
神社のほうが賑やかで、なるほどなぁと思う。

昔は芸者やら愛人やら連れた男たちが、
ぞろぞろ歩いていたという。

無駄な歩き方のほうが、人間らしかったのかもしれない。
効率とか合理性とか、そういう
ものに生活が絡め取られると、魂が乾く。
ちょっと熱くなった。すみません。

明日は休みだが、財布が軽い。というより、空。
引きこもる以外の選択肢がない。
さて、寝よう。

2001年10月20日(土)

「クラッシュ!」

午前4時すぎ、妙な夢を見ていた。
誰かに小突かれているような夢で、あまり愉快じゃない。
寝ているんだか起きているんだかわからない、
そんな時間帯だった。

その時、ズシン――と地の底から鳴るような音。
続いて、ギィッとタイヤのきしむ音、

パリンとガラスの割れる音。
これはただごとじゃない。

外に出てみると、案の定、我が家の塀が崩れていた。
見事なまでに風通しのいい家になっている。
隣の空き家はもっとひどく、太い柱が折れていた。

ぶつけた車は50メートルほど先に
鼻先を潰して止まっていた。
前輪は、もう飾りのようなものだった。

運転手は警官と話をしていた。
顔までは見えなかったが、
後ろ姿でなんとなくわかる──若い女だ。

いつの間にか集まった野次馬が、

「これ、タイヤ動いてたら逃げてたな」

などと言っている。
 
まあ、人の不幸には口が軽くなるものだ。
僕も似たようなことを言った覚えがある。

通報したのは、彼女の車の動きが怪しいと思って
こっそり後をつけていた一般人らしい。
尾行癖のあるご近所スパイ。どこにでもいる。

問題の運転手は制服姿ではなかったが、
妙に整っていて品があった。
正直なところ、事故現場で
なければ見とれていたと思う。

車はオペル。夜の四時、そしてこの車種。
最初はホステスかと思ったが、
あとで聞いたら昼間の会社員だという。
 
じゃあ何であんな走り方を、と首をひねる。
酒か、薬か、あるいはメールか。
 
当時はみんな、運転しながら
テンキーボタンを連打していた。

やがて彼女の父親が現れた。
これがまた上品で、「娘には甘そうだな」と思った。
 
教育というのは、伝わっているようで伝わらない。
まあ、うちの塀みたいなもんだ。

昨日書いた「渋滞」の話が、
まさかこんな形で続くとは。
神様が悪戯好きなら、ちょっと性格が悪い。

崩れた塀を見ながら、世界貿易
センターの映像を思い出した。
 
現実の崩壊というのは、
人の中のバランスも一緒に崩す。

気づけば下半身が妙に冷たく、少しだけ漏らしていた。
 恥ずかしいというより、負けたなと思った。
誰にかはわからないけれど。

昼間はよく晴れていたが、
塀のない家というのは落ち着かない。
 
こちらからも世界が見えるし、
世界からもこちらがよく見える。
 
風通しがいいのは悪くないけれど、背筋が伸びる。
そういう一日だった。

2009年10月19日(月)

「袖口に季節が宿る」

今朝の空気は、秋というより冬の入り口を思わせた。
でも、8年前みたいに刺すような冷たさではない。
あの頃の寒さは、肌を叩いてくる感じだった。

今日、会社で作業服を冬物に切り替えた。
偶然だが、8年前と同じ日だった。
無意味な符合に、思わず笑った。

ただ、あの頃より地球はぬるい。
温暖化か、体の鈍りか。おそらく両方。

厚手の袖を通すと、
「またこの季節が来たな」と思う。
何かが始まる感じではなく、
何かがじわじわと後退していく感じ。

2009年10月20日(火)

「ストレスとタバコと塀の記憶」

書くことのない一日だった。
仕事もやる気も結果もない。
三拍子揃って、まあ平和といえば平和だ。

ふとタバコが恋しくなる。
ライターを持っていないことが、
妙に心強く感じる日もある。

酒も同じだ。
手を出せばきっと堕ちる。だから出さない。
家では飲まないと決めて、
それを守っただけなのに、なぜか疲れる。
我慢というのは、後味がある。

会社に行きたくない理由は単純だ。
行きたくないから。
それ以上でも以下でもない。
 
ストレスに強いタイプではない。
間違いなく、弱い方だ。
まあ、それで生き延びているのだから大したものだ。

8年前の今日、あの事故があった。
美人が塀に突っ込んできた日。
結局、飲酒運転だったと聞いた。
今なら即アウト。ニュースにもなって、
ネットで袋叩きだろう。
人生を数年ぶん、吹き飛ばされたかもしれない。

あのときも、どこかボタンが
ひとつ外れていたんだろう。
たいていの不幸は、その外れたひとつを
誰も直さなかったことで起きる。

人はあれから8年たっても、あまり進歩していない。
信号をすり抜ける車も、携帯をいじる運転手も、
減っていない。そして僕自身も。

壊れた塀の記憶は、ときどき立ち上がってくる。
音じゃなく、空気の揺れで思い出す。
あの朝の冷たさのように。
忘れたころに、ふっと戻ってくる。

ラベル:

10/18/2009

2001年と2009年の僕たち──しずかなる、ひとり時間の記録

 

◆ 2001年10月17日(水曜日)

終日、雨が降っていた。
空気が冷えて、指先が痺れる。
それでも工場内はいつも

通りの暑さで、汗が背中を伝った。

きょうは洗い場と仕上げ場を行ったり来たり。

製品の脂を落とす工程では、
洗剤の泡が手のひび割れにしみた。
 
爪の間に刺さった小さな棘は、
金属加工のバリらしい。
目立たない痛みほど、なぜか気になる。

作業着は汗でしっとりと濡れ、
エプロンには油と洗剤の跳ね跡。
 
仕事を終えて制服を洗濯機に放り込みながら、
今日もさぼらなかったことを、
そっと自分で褒めてみた。

自己満足に過ぎないが、
それでも多少は意味があるように思う。

夕方、冷蔵庫にあった
小さな板チョコを口に入れた。
ほんの少しだけ、幸福な気持ちになる。
甘いものには、たしかに慰めの効能がある。

そういえば、亀田製菓の「けなげ組」
というお菓子があった。
 
柿の種が主役の小袋で、
裏面には「理不尽にも負けず、
けなげに生きていこう」と書かれていた。
 
あれを見たとき、妙に胸を打たれた。
できることなら、自分もそのけなげ組の
一員にしてもらいたい。

汚れた作業着で、爪の間に棘を刺したまま、
それでも地味な仕事を黙々と
こなす小さな柿の種──。

そんな自分を、パッケージの
隅に忍ばせてもらえたら、
ちょっとだけ報われる気がする。
 
できれば、柿ピーの中でも控えめな
ピーナッツあたりの隣がいい。

◆ 2001年10月18日(木曜日)

朝から底冷えがした。身体も、気分も。

僕はハンサムではないが、ギャグはややサムい。
いや、正直に言えば、だいぶサムい。

会社では製品カタログ用の
サンプルづくりを手伝った。
形の整ったもの、
色味の良いものを選ぶように言われる。
 
結局この世は見た目で動いているのか、
などと考えながら手を動かした。

寒さのせいか、ビールも
いまひとつ喉を通らない。
 
シチューでも作ろうかと思ったが、
材料も気力も足りなかった。

代わりにテレビをつける。
『ガッチャマン』の再放送。

子どものころは気づかなかったが、
案外あれは社会派だった。

アニメは得意ではないが、
構成に筋の通ったものは見ていられる。

夜八時からは『うたばん』の総集編。
モーニング娘。は
すっかりお祭りのようになっていた。
 
個人的には、初期の哀愁を帯びた歌が好きだった。
あれはもう戻ってこないのだろう。

明日は晴れるという。
しかし便所掃除の当番なので、

休むわけにはいかない。

風呂から上がると、すでに湯冷めしていた。
床の冷たさが足もとから這いのぼってくる。

そっと布団に入り、眠りを待った。
カラオケにでも行きたい気分だった。
ただ、歌いたい曲が浮かばなかった。 

◆ 2009年10月17日(土曜日)

午後、静岡109へ向かった。
八年前のこの日も、たしか雨だった。

今日の目的は、舟山久美子──
くみっきーの来店イベント。
 
ひとりで行くのも怪しい気がして、
女友達を誘った。
(とはいえ、二人でもやや怪しい。)

モデルを間近で見るのは、
2007年の春に渋谷109で
益若つばさを見たとき以来。
 
あのときも同じように、
「たまたま通りがかったふり」で現場にいた。

現地に着いたものの、
くみっきーの姿は見えなかった。
 
限定アイテムを購入した先着五十名には、
握手と撮影の特典があるという。
 
だが、こちらにはその「先着」
に挑むほどの気概も財布もなかった。

静岡109は思った以上に閉鎖的で、
イベント会場は封鎖された階段の奥だったらしい。

諦めかけた頃、「おそらくこの出口だろう」
と見当をつけ、裏口に近い出入り口で待っていた。

そして午後四時すぎ、
本当にその場所から彼女が現れた。

反射的に両手をあげて手を振ると、
くみっきーは気づき、軽く手を振り返してくれた。
──それだけで、もう十分だった。

あんなふうに人を喜ばせられる
存在は、少し羨ましい。

もっとも、こちらは喜ぶ側の
専門なので、競合はしない。

そのあと、女友達と両替町へ向かい、
男友達三人と合流した。

座和民で乾杯し、二軒目までハシゴして、
気づけば午前三時。
 
高校の文化祭の打ち上げのような、
どこか懐かしい夜だった。

翌日はその疲れで、何もする気になれなかった。
天気は晴れていたが、身体の内側だけが曇っていた。

アセトアルデヒド──
人を少しだけ正直にし、翌日を少しだけ曇らせる成分。

ラベル:

10/16/2009

ティファニーではない朝食を : 2001年の便意、2009年のまぶた

2001年10月14日(日曜日)

「光合成はせず」

晴れ。
今日も、ほとんど部屋の中。
若者らしくない休日の過ごし方に、ちょっとだけ自己嫌悪。
……だったのだけれど、朝は少しだけ外へ出た。

やたら早起きして、犬を連れて歩いた。
住宅街のはずれに出ると、
鉄骨むき出しの大型店舗が建ち始めていた。
個人の店はこれからどうなるんだろう。

人も同じで、食うか食われるか。
――なんて、いかにも若者らしい
哲学を口の中で転がしてみた。

二時間ほど歩いて、家に戻る。
トーストと昨夜の残りもので朝食。
クロワッサンもエッグベネディクトもないけれど、
「ティファニーで朝食を」
と名前をつけると、少しだけ洒落て見える。

そのあとベッドに潜り込み、昼まで気絶。

午後、目が覚めて簡単な昼食。
なぜか無性にお子さまランチが食べたくなった。
ケチャップの甘さと、小さな旗。
あの頃の感じを取り戻したかったのかもしれない。

近所のスーパーの弁当を囲み、
家族四人でにぎやかに食べる。

うるさい家だけれど、沈黙よりはずっとましだ。
……が、そのあと、急に腹の調子が崩れた。

静かな午後に、あり得ない音が鳴り響く。
笑いも気品もなく、ただ生きている音だけが残った。
一時間後には腹痛で身動きもとれない。
「ふくつう」――そんな単語が頭に浮かんで、
ああ、なんてくだらない一日だろうと思った。

それでも夜には回復して、チャーハンを食べた。
上の口も下の口も、どちらも黙らせて、
明日からは静かに働こうと思った。

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2001年10月15日(月曜日)

「明日でネット日記して1ヶ月」

気づけば、日記を書きはじめてもうすぐ一か月。
よく続いたと思う。
途中で飽きると思っていたのに。

書くネタは多くないし、人生にも起伏はない。
それでも、理屈と愚痴が僕の推進力らしい。

会社ではMさんの定年退職があった。
社長のスピーチが少しおかしかった。
「昭和48年入社、28年の勤続」と言うところを、
「48年間という長い間」と言い間違え、
時間まで引き延ばしてしまった。

さらに、
「夏の暑い日は熱いお茶をいれ、
冬の寒い日は冷たいお茶をいれ…」

という謎の功労紹介。
給湯室の話なのに、逆じゃないですか社長。

そんな調子で、社内は少し笑いに包まれた。
Mさんは苦笑い。
僕は自分の日記のネタが一つできたことに、
少しだけ感謝した。

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2001年10月16日(火曜日)

「テカる源氏の赤い日記帳」

夜八時半。
もう眠くて仕方がないけれど、
日記を書かないと落ち着かない。

最近は夜更かしばかりで、心身ともにぼろぼろ。
無料の快楽=眠りサービスは、もっと使っていいはずだ。

一日をひとことで表すなら「ムカついた」───
でも、金さえ入ればいいやと、妙に達観している。
日記を書くのも少しプレッシャーになってきた。
……じゃあ、やめちまえば?
いや、それでも書いてしまう。
書くことが、今日という日を証明してくれる気がするから。

2009年10月16日(金曜日)

「目が、目が」

 晴れ。だるい。
このところ、ネットを完全に閉じている。
SNSの更新も止まったまま。

何かを発信したかったはずなのに、
その気持ちがどこかへ消えた。

とにかく目が疲れる。
画面を見るのがつらい。
「北の国から届いたブルーベリー」
なんていうサプリを飲んでも、
効くのはパッケージの言葉だけ。

目が、目が……とぼやいても、誰も気にしない。
だったら、まぶたを閉じるしかないじゃないか。

眠る。
それだけが、いちばん確かなシャットダウン。
今日も世界を少し閉じて、静かに目を休めよう。

ラベル:

10/12/2009

午後四時の空気――休日のリズムに耳をすませて


  2001年10月12日(金)

まるで絵の具をそのまま
流し込んだような空だった。

青にもいろいろあるけれど、
今日のそれは、見た瞬間に
いろんな雑念が洗い流されるような青。

天気予報では
「高気圧が張り出してます」
と言っていた。

たしかに、街全体の空気まで
少し軽くなっていた気がする。

昼休み、職場のおばさま方と
ひとしきりおしゃべり。

「こんな日に仕事なんて
もったいないよねぇ」

そんな言葉をきっかけに、
話題は自然と山とか川とか、
自然のほうへと流れていった。

そういえば春にも、
同じメンバーで日帰り旅行に行った。

電車に揺られて、河原でお弁当を広げて、
あとはお酒と笑いに任せるだけの一日。
よく晴れていたっけ。

人の記憶って、天気といっしょに
残っていることが多い。
そう思いながらふと空を見上げたけれど、
現実の空気は……けっこう油くさい。

職場のフロアは昼間でも薄暗く、
耳のそばでいつも何かがきしむ音がしている。
最近は、必要なことが聞き取りづらくなって、
どうでもいい話ばかりが耳に残る。
耳のせいなのか、それとも心のクセなのか。

気づけば、もう三年もこの空間にいる。
なんとなく、部屋のすみにほこりみたいに
空気の重たさがたまっているのを感じる。
それに気づいたのは、たぶん最近のことだ。

だから休日くらいは、
無理にでも違う空気を吸いたくなる。

好きな香りをつけて、
いつもと違う音楽を流して、
少しだけ身なりを整える。

たったそれだけで、
人はけっこうリセットできる。

とはいえ、今週はずっとパソコンの前だった。
古いデスクトップで
日記を書き続けていたけれど、
その不格好な機械の中に、
なんだか自分を見ているようで、ちょっと笑えた。

今、家にはパソコンが4台ある。
多いなと思うけれど、どれも手放せない。

どれも少しずつ、
自分の分身みたいな気がするから。

仕事帰りに、なんとなく家電量販店へ寄って、
CD-Rを買った。何を焼く予定もないのに。
でも、そういう無意味な買い物って、
案外いちばんいい気晴らしになる。

もう一つだけ書いておこう。
趣味に夢中になるのもいいけれど、
見た目やふるまいにも少し気を使いたい。
明日は久しぶりに服でも見に行こうかな。

最近、流行のアイテムもちらほら聞くけど、
どうもピンと来ない。
古くても、自分にしっくりくるものがいい。
ただ、それがどこに売ってるのかが問題だ。

昔好きだったブランドは、
どこも値段が高くなっていて、
気持ちだけが取り残された感じ。
そんなことを考えながら、
ベッドにもぐりこむ。

「予定は未定か」

とつぶやいて、目を閉じた。


そして今──2009年の僕より。

あの頃は、服装に関しては本当に無頓着だった。
今は少しだけ、マシになった気がしている。
気がするだけかもしれないけれど。

今日は8年前と似たような晴れ日で、
しかも連休の最終日。
正確には、ちょっとした有給休暇を
組み合わせた4連休だったので、
体も心もいつもよりきちんと整った。

午後になると、たいてい
昼寝をしていた。その習慣も悪くない。

この数日間、誰とも会っていない。
無理に会おうともしなかった。
一人でいる時間が、自分にとっては
案外贅沢なのだと、
年々思うようになってきた。

職場の方に「誕生日会をしよう」と
誘われていたが、いろんな事情を
理由にお断りした。

正直なところ、夜の外出が
ちょっと苦手になってきたのだ。
眠りのリズムを崩すのが怖いというか──
まあ、若くはないということかもしれない。

午前中は母と一緒に、
近所の家電店まで徒歩で出かけた。
風は少し強かったが、歩いているうちに
体が温まり、万歩計を見ると
ちょうど4000歩。
この歩数に、妙に納得した。

店ではプリンタのインクを買い、
調理家電をひと通り見て歩いた。

こういう時間が、自分にとっての
外出のちょうどいい形になっている。

ふと思い出すと、以前よく通っていた
店はもう近所にはなくなっていた。

この店の別の店舗に行くには、
いまや電車で30分。
変わるもの、変わらないもの。

その中で、自分はどこを選ぶのか──
そんなことを考える午後も、悪くない。

以上。

ラベル:

10/10/2009

旧体育の日に着るパジャマ


 2001年10月10日(水曜日)
「旧体育の日」
 
珍しく雨の10日だったなあ。
昨日書き忘れたけど晩酌復活。
アルコールは僕の慈しむべき友だね。
 
今日もチリンを──
ごくごく…プッ!ウェーイで爽快!

朝は大変だった。
車が大渋滞で遅刻寸前。
四輪はすり抜けできないから不便だね。
もう少し早く出ないとダメだなあ。


……今日はあんまり書くことないや。
そうだ、パジャマを厚手の長袖に替えた。
これがまた妙にわくわくするんだよ。
 
理由?なんとなくだよ。
 
秋から冬、そして年末へ。
この10月から12月が僕は好きだな。
いい出来事をいくつか作りたい。
そのためには、明日もきっちり生きる欲望。
それが大事なのだ。

□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□

再掲載によせて
(2009年10月10日・追記)

この「赤い日記帳」──
2001年10月5日から9日も皆勤で
書いていたんだけど、
酔っぱらいすぎて文章が
攻撃的になっていたので、
その部分は非公開にした。
 
さて、今年の10月10日は土曜日。
朝は強い雨だったが、
午前中には晴れ渡った。

午後は時おり曇ったものの、
傘をさすほどではなかった。肌寒い一日だったな。
 
ちなみに8日には台風18号が2年ぶりに上陸。
10月の上陸は2004年以来だとか。

6~7日は何をしてたっけ?……忘れた。

物忘れがひどい。
アルコールのせいかもしれない。
 
最近は家で飲むのをやめて、
週末に350ml缶を一本だけ。
それでも頭痛・赤ら顔・目眩。

 ……下戸になったのかもしれない。
 
まぁいい。以前は毎日2リットルは
当たり前だったから、続けていたら
身体がもたなかっただろう。

来週はクセの強い知人たちと
久々に飲むけど、ハメは外さないようにしよう。

どうせならモルツがいい。
スーパードライはやっぱり馴染めない。
 アルコールって薬物だから、深入りはしたくない。

 ──今これもパジャマ姿で更新中。
今日から厚手の長袖に切り替えた。冷えるからね。
 
今年もあと3ヶ月。
年末が近づいてもワクワクしない。
歳をひとつ取ると思うと、ちょっと淋しい。
 
まぁいいや。
厚手のパジャマに包まれて寝よう。
おやすみ。

ラベル:

9/29/2009

曇天と回転寿司──2001年、清水にて


 曇り空とナガシマン(2001年9月28日・金)

朝から分厚い雲が空を覆っていた。
給料日。封筒を開けて、思わず目をそらす。
皆勤手当じゃなくて「精勤手当」になっていた。

「……優しい数字だな」と思ったとき、
たぶんもう疲れていたんだと思う。

帰ってパソコンを開き、
Internet Explorerを6にアップデート。
進行バーをぼんやり見つめながら
「重いなあ」とつぶやく。意味もなく。

白いMacは、その夜だけは触る気になれなかった。
あの冷たいオシャレ感が、くもり空の日には
ちょっとこたえるのだ。

テレビでは「長嶋監督、今季限りで退任」。
ナガシマン──名前だけで国民的存在。
人気の理由はよく分からなかったけれど、
人は説明できないものほど好きになるのかもしれない。
恋愛と同じで、理屈が分かったら
冷めてしまうんだろうな。

スポニチの購読も9月でやめるつもりだった。
なぜか毎年、春に始めて秋にやめる。
季節の行事みたいな購読パターン。

「来年は最初からやめとこう」
そう思いながら、静岡新聞だけ残すことにした。

清水を歩く午後(2001年9月29日・土)

またしてもくもり空。もう一週間ずっとこんな感じ。
後輩と新静岡センターで待ち合わせ、静鉄で清水へ。

車内は混んでいて、やけに若い女の子が多い。
その明るさが、こちらの疲れを
スポットライトみたいに照らしてくる。

新清水駅に着くと、空気が静岡と少し違った。
ほんの一瞬だけ、旅に出たような気分になる。

急に晴れて、日差しがまぶしい。
ダンガリーシャツを脱いで半袖で歩く。

目的地は「ドリプラ」──
人が多くて、カップルだらけ。
プリクラの前には長い列。
男ふたりで歩くには、
ちょっと気まずい空気だった。

寿司ミュージアムは正直、眠気の勝ち。
そのまま回転寿司に入り、昼ごはん。

安い皿ばかり取っていく。
サラダ軍艦、手巻き、またサラダ。
赤身やいくらは遠慮した。

「こういうとこ来て普通の
寿司ばっかってどうなんすか」
後輩が笑う。

どうもこうもない。高い皿を取ると、
財布より先に心が落ち着かなくなるのだ。

気づけば、安い皿ばかり積み上げた「寿司タワー」──
誰に見せるわけでもない、僕の安上がりな摩天楼。

食後にゲーセンへ寄ったけど、すぐ飽きた。

清水駅へ戻り、アーケードの
ゲームショップでPS2を眺める。

「高いな」と言いながら、
そこまで欲しいわけでもなかった。

焼肉と筋肉痛(2001年9月29日・夜)

静岡駅に戻り、駅南の焼肉屋へ。
外観は立派だったけど、焼き加減はいまいち。
数枚を炭にした。

ハツは避けてハラミばかり。
禁酒中なのでウーロン茶を
ビールと思い込んで飲む。
……不思議と味までそんな気がしてくる。

酔った気分になりながら、肉を焦がし続けた。

「楽しかったか?」と聞かれると、答えに困る。
退屈ではなかったけど、
すごく楽しかったわけでもない。
その中間の、あいまいな時間。

あとから思い出すのは、
いつもそんな時間ばかりだ。

帰宅すると、曙の引退番組。
「東関部屋、出世したな」とぼんやり思う。

筋肉痛がやってきていた。
焼肉よりも、こっちの方が翌日にしっかり残った。


あれから8年(2009年9月29日)

あれから8年。
スポニチも読まず、静岡新聞もやめた。
「新聞は脳を活性化する」という広告を見て、
一瞬だけ購読を考えた。
でも、脳の活性化が一瞬で終わった。

ニュースはネットで十分、という時代。
でも開けば、怒号と感情のフェスティバル。
ニュースというより、絶叫マシン。

乗った覚えがなくても、
勝手にベルトを締められて振り回される。

そんな中で、このブログの断片も
検索で拾われることがある。

「清水 回転寿司 曇り空」
とかで来られても困る。

これは僕個人のくもり空であり、
なんの役にも立たない情報なのに。

それでも時代はおかまいなしだ。
誰かのクリックが、
僕の安い寿司タワーや、ぼんやりした夜を
踏み荒らしていく。

……まあ、いいか。
ここは読むためじゃなく、
ただ書き残すための場所だから。

ラベル:

9/22/2009

ベスパと雨と、あの頃の僕


  2001年9月21日(金)

「つくづく秋だね…」
 涼しい。というか、少し肌寒い。
そろそろタンクトップともお別れらしい。

夜の20時半。雨がしとしと降っている。
夏場の地獄のような暑さと
汗だくの日々が、まるで嘘みたいだ。
今ではコーヒー一杯で一日がしのげる。

ただ、そのせいか──家で飲むビールが、
妙においしくない。
これだけは、秋の欠点だ。

飲み会の誘いが来そうな気もするが、
金欠だから電話は取らない。
節約の秋でいい。
今はむしろ、HTMLの勉強の方が楽しい。
最近、パソコンに向かってばかりだ。

2001年9月22日(土)

「暑さ寒さも彼岸まで」とは、
よく言ったものだ。
朝9時、予約していた美容院へ向かうために
ベスパを走らせたが、
半袖では風が冷たくてつらいくらいだった。

ライダーは、風で季節を知る。
今日は、もう晩秋だと感じた。

髪はすっきり整った。
カラーで少し明るくなった髪に反して、
内面はやはり暗いままだ。

午後はお隣の清水市まで足をのばし、写真展へ。
引き伸ばされた風景は、
どれも美しく、思わず立ち止まった。

京都の紅葉も見に行きたいけれど──
財布の中身までもう晩秋。
せめて三連休のあいだ、近場で小さな秋を探そう。

 □-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□-□
 
2009年9月──

天気は曇り、時折小雨がぱらつく。
今年は19日から23日まで
「シルバーウィーク」と名のつく大型連休。 

ありがたいことに休みは多い。
東名高速は大渋滞らしいが、
僕は渋滞知らずで過ごしている。

土曜日は美容院へ。
日曜はディーラーで車検を済ませ、
その足で家族と犬を連れて宇津ノ谷峠まで。

結局、この8年で大きく変わった
ようでいて、たいして変わっていない。

相変わらず、携帯の電源は切ったまま。
相変わらず、出費は抑えて
小さな楽しみで満足している。

2001年のベスパの僕も、
2009年の家族と犬連れの僕も、
同じ雨空の下で、秋の入口を走っている。

ラベル:

9/19/2009

ホストペットクラブ ──限定解除と下ネタの青春記


 ……あらためて読み返すと、笑ってしまう。
けれど、あの頃の僕が
「残しておこう」と思ったのなら、
それで十分だと思う。

2001年9月18日(火)

「日記って、むずかしい」

日記を書こうと思っても、
書くことが浮かばない。
机の横を見渡せば、亀田製菓の柿の種。
……そして下半身に抱えた『愛の種』。

そんなくだらないフレーズを思いついて、
数日前、ポストペットの彼女に送ってしまった。
返ってきた返事には
「ボコボコに殴られた」とあった。
どうやら柿の種と
愛の種の対比が、見事にスベったらしい。

今日も暑かった。
上司がグアム旅行から無事帰国。
9月11日のテロ直後で心配されたが、
土産にナッツ2袋と
タバコ1カートンを抱えて戻ってきた。

その海外仕様のタバコには、こんな注意書きがあった。

「あなたの貞操観念を損なう
おそれがありますので、やりすぎに注意しましょう」

苦笑するしかなかったが、ネタにはなった。
人が無事に帰ってくる――
それだけでありがたいことだ。

2001年9月19日(水)

「水曜という名の真ん中」

「まんなかもっこり夕焼けニャンニャン」
――そんなフレーズがあったらしい。
僕には馴染みがないが、耳に残る響きだ。

仕事は3年目。すっかり慣れて刺激は薄い。
「石の上にも三年」と
祖父の口癖を思い出しながら、
もう少し踏ん張ろうと思う。

帰りにベスパに給油。
ガス代も安く、気軽に走れるのがありがたい。
本屋では『アサヒカメラ』を立ち読みしつつ、
隣の棚の工口本ものぞいてしまう。青い。

夜は「ハモネプ」を眺めた。
共通の趣味でつながる人たちが、羨ましく映った。


2009年の追記

振り返ると、なんとも幼い。
下ネタに逃げる言葉も、
空虚さも、若さの証拠だ。

ポストペットの相手は
誰だったのか、もう思い出せない。

いまは、軽々しくメールを送る気力すらなくなった。
人付き合いは、年を重ねるほど慎重になる。

ただ一つ、誇れるものは残っている。
バイクの免許だ。

あの頃の大型二輪は「限定解除」と呼ばれ、
試験場での実地試験しかなかった。

発表されたコースをひたすら歩いて
頭に叩き込み、軍隊のような空気の中で挑む。

僕は4回目でようやく合格。
その時の安堵感は、言葉にできない。

試験場で見知らぬ人と抱き合い、握手を交わしたあの瞬間。
まるで全国大会に優勝したみたいに誇らしかった。

バイクはSR500やスポーツスター883を経て、
最後はベスパPX200FLに落ち着いた。

『探偵物語』の松田優作が乗っていた
ベスパに似ていて、どこか気取った気分だった。

当時は乗馬用のヘルメットをかぶり、
意気揚々と走った。

 

東京の雑誌ではサマになるスタイルでも、
地元静岡では警察に止められたのも今では笑い話だ。

タバコはその年の暮れにやめた。
今でもたまに一本もらって
火をつけることはあるが、不味くて気持ち悪い。

酒もやめた。飲むなら外で、誰かと一緒に。
そう決めてから3ヶ月が過ぎた。

「生きることは汚れること」と誰かが言った。
せめて肺だけは、きれいに保っていたいと思う。

……少し自慢っぽく書いたけれど、
実際にはただの昔話を膨らませただけ。

陰気な僕にとって、語れることなんて、
それくらいしかなかったんだ。

おやすみ野菜。

ラベル:

9/17/2009

肩凝りと青春の延長戦


 2001年9月17日(月曜日)。
秋の香りがする、マンデーマンデーだった。
左肩が痛くて、憂鬱な月曜日。

一日はあっという間に過ぎたけれど、
それを充実と呼んでいいのか分からない。

昨日導入したスカパーは、
二週間無料で観られるらしい。
ガッチャマン、ヤマト、ヤッターマン。
昭和のアニメを立て続けに観ながら、
「昭和だねぇ、ナツカシイ…」とつぶやく。

けれど、安易に「懐かしい」
に逃げてしまうのは、十年早い。
まだ青春を体験しきっていないのだから。

十代の僕は、塀の中の懲りない面々のようで、
井の中の蛙で、浦島太郎でもあった。

まるで懲役を受けたような時間を過ごし、
同世代からは確実に遅れていた。
内面は空っぽで、ただ焦るばかり。

ウィダーインゼリーのように、
すばやく栄養を吸収して追いつきたい。
できれば追い越したい──そんな気持ちでいた。


2009年9月17日。

八年前と同じように、
左肩の凝りに悩まされている。

吐き気を伴うほどで、
アンメルツを常備していた頃を思い出す。
 
しばらく無縁だった痛みが、また戻ってきた。
まるで不意に、不機嫌な
水たまりに足を取られたようだ。

処方された薬を患部に
擦り込みながら考える。

──八年前の僕は、焦っていた。
誰かと比べては劣等感を募らせ、
無意味な競争に自分を追い込んでいた。

今はもう、比べない。
「人は人、自分は自分」と強がりながら、
少し距離を置いている。

それは諦めに似ていて、
無関心の言い換えかもしれない。

去年の今頃は、街に出て
どうにかストレスを誤魔化していた。

今年はそういう場所へ足を向けていない。
異性への興味すら、
気づけば薄れてしまっていた。

要するに──
僕は年を取ったのだろう。

けれど、それを「無意味」と
呼ぶにはまだ早い。

肩の痛みとともに、
あの頃の自分はいまも
背後から追いかけてくる。
延長戦は、静かに続いている。

ラベル:

9/16/2009

あれから8年か…


今日から、このweblog
に新しいテーマを加える。
その名も──
『再掲載「赤い日記帳」』──

「赤い日記帳」は、2001年9月16日から
2004年4月8日まで、
個人ホームページ内で細々と続けていた連載だ。

人気も反響もほとんどなかった。
むしろ陰気なコンテンツのひとつだった。

ただ、その最初の更新から、ちょうど8年が経った。
節目なので、ここに少しずつ再掲載
していこうと思う。基本的には原文のまま。
あまりに青臭い表現や、今読むと
きびしい部分だけは、軽く手を入れるかもしれない。

2001年は、ネットが常時・定額で
つながるようになり始めた時代だった。

「とりあえずホームページを作ってみよう!」
という空気が、街にも部屋にも満ちていた。

HTMLを手で書き、CGIスクリプトを
拾ってきて、掲示板やカウンターを設置する。
そんな小さな部品を組み合わせて、
自分の「城」をこしらえていた。

誰が読んでくれるかもわからない。
それでも、インターネットに
自分の居場所を刻みたい──
そんな人間たちが夜な夜な画面に向かっていた。

携帯電話はまだ従量制で、
せいぜい着メロや占いページを覗く程度。
「表現」はやはりパソコンを通じてやるしかなかった。

そして2009年。
スマートフォンはまだ普及していないけれど、
Twitterのようなサービスが出てきて、
ブログの存在感も揺らぎつつある。

更新はラクになったが、
「何を書けばいいか」
はむしろ見えにくくなった気がする。

──と、前置きはこのくらいにして。
記念すべき最初の投稿を再掲してみよう。

2001年9月16日(日)

「日記スタート!」

僕は日記なんてつけたことがない。
いつも起伏に乏しい人生を送っているからだ。
だけど、書かなければならない気持ちになった。

もしかしたら、普通じゃ
絶対に知り合えないような
可愛い乙女が読んでくれるかもしれない。
そして、運が良ければ
共感してくれるかもしれない。
そんな根拠のない期待感に、
背中を押されたのだと思う。

今日は暑かった。
アクエリアスの懸賞で当たった
スカパーセットを、ようやくセッティング完了。
ただし、アダルトチャンネルは見られない。

なぜなら、テレビはリビングに1台だけ。
僕には専用の部屋などなく、
物置の片隅を自室にしているからだ。

──ただし、ラジオはある。

ともかく、我が家にもスカパーが入った。
めでたしめでたし。


(2009年9月16日 追記)

いやぁ、シンプルな文章。妄想成分多め。
当時はiMacやポストペットが流行っていて、
「女の子でもネットをやる」時代が来ていた。

ちなみにスカパーは数年後に解約。
アダルトチャンネルは、結局一度も契約しなかった。

「赤い日記帳」はサーバー閉鎖の
ため、ごく一部しか残っていない。

誰が読むとも知れぬ記録だけれど、
せっかくなのでここで
時折、振り返ってみようと思う。

ラベル:

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