8/25/2026

妙なところへ来てしまった

8月11日。
水回りを少し掃除しようと思った。

洗面所と、トイレと、風呂場。
せっかくなので、普段あまりやらないところまで
きれいにしてみようと思い立ったのである。

洗面所を済ませ、
風呂場に取りかかった。

最近の風呂掃除は便利になったもので、
「バスマジックリン エアジェット」
というものを初めて使ってみる。

シュッ、シュッではなく、
シューーーッと長い余韻がある。
これが妙に面白い。

せっかくなのでもう少しきれいにしてやろうと、
スポンジを持って、ぎゅっ、ぎゅっとこすっていた。

調子に乗って力を入れたまさにその拍子に、
腰を痛めた。

いわゆる、ぎっくり腰である。

そのあとに掃除するはずだったトイレは、
そのまま手つかずになった。

翌朝から、寝床から起き上がるだけでも一苦労。
しばらくは家の中で大人しくしているしかない。

少し動けるようになってから、
いつものようにパソコンを開いた。

そして、ファミコン版『ドラゴンクエスト』
の音源を流したくなった。

滅多にアクセスしないYouTubeを開き、
1、2、3、4、5と曲をたどっていく。

ザッ、ザッ、ザッ。

効果音ですら愛おしい。

が、あれほど熱中したゲームなのに、
今はもうまったくやらない。

一時期は家庭用ゲーム機の定番をひと通り揃えていたけれど、
平面から3Dになった頃から、どうも駄目になった。

画面を見ていると船酔いするような感覚になり、
それ以来ずっとゲームから遠ざかっている。

それでも、昔の『ドラゴンクエスト』の音だけは今でも聴く。
しかも、ファミコン版でなければならない。

昔はわざわざオーケストラ版のCDまで買ったものだ。

重厚なアレンジで聴ければいいと思っていた
あの頃とは違い、
今では、好みがすっかり逆になっている。

音数の少ない、あの素朴な電子音。
それが妙に落ち着くのだ。

そして、この音をBGMにしていると、
今自分がやろうとしていることにも不思議としっくりくる。

私のYouTubeの使い方は、
どちらかといえばラジオ的である。

動画は観ていない。音だけだ。

手打ちHTMLを書き、
ファイルをサーバーへ送り、CGIを動かす。
そんな地味な作業には、やっぱりファミコンの音くらいがちょうどいい。

今回、CGIをどうしても動かしたくなったのだ。

腰を痛めたというアクシデントが、
逆に普段の優柔不断さをシャキッとさせたらしい。

その勢いのままCGIの使えるサーバーへ引っ越し、
ドメインまで取ってしまった。

サーバーの設定画面を開いた。

目についたのが、「cgi-bin」という名前だった。

懐かしい。
昔の個人ホームページでは、
当たり前のように見かけたディレクトリだ。

中にはCGIのスクリプトが入っていて、
掲示板やアクセスカウンターなどがそこから動いていた。

久しぶりに自分でサーバーをいじっていると、
この名前が妙に気になって仕方がない。

昔お世話になったKENT-WEBの
スクリプトを引っ張り出してきて、
設定ファイルを眺める。

cgi-binの下に専用のディレクトリを作り、
Perlのファイルをアップロードする。
そして、おまじないのようにパーミッションを設定する。
ここまでは、何とかうまくいった。

すると今度は、SSIも試してみたくなった。
HTMLを表示するときに、
サーバー側で処理した結果を
ページの中に差し込む仕組みである。

トップページに、
LAST UPDATE : ○○○○.○○.○○
と表示させる。

ブログの記事を書いた日ではない。
ホームページそのものを最後にいじった日を、
サーバーに自動で拾わせて表示する。

HTMLを直した。CSSを直した。
ファイルを追加した。リンクを修正した。
そういう細々とした作業も含めて、
「ホームページを最後に触った日」として残す。
そのくらいの意味でちょうどいい。

ところが、ここからがなかなかうまくいかない。
画面に出てきたのは、
[an error occurred while processing this directive]
という、実に愛想のない一行だった。

SSIは動いている。CGIも単体なら動く。
なのに、組み合わせるとどうしてもうまくいかない。

設定を見直す。パスを確認する。
ファイルを調べる。ブラウザを更新する。
駄目。
また直す。
やっぱり駄目。

別に、なくてもまったく困らない機能である。
それなのに、動かないとなると無性に気になる。

『ドラゴンクエスト』の音が、
ブラウザの裏で淡々と流れている。
その電子音を聴きながら、設定ファイルを眺める。

一体、自分は何をやっているのだろうと思う。
しかし、こういう時間が案外嫌いではない。

そして、何度目かの試行錯誤のあとだった。
画面に日付が、ふっと現れた。

2026年8月15日。
思っていた通りの数字が、
何事もなかったようにページの中におさまっている。

「おお、出た」

たった一行の日付が表示されただけだった。
それでも、妙に嬉しい。

サーバーがこちらの指示を受け取って、
ちゃんと日付を返してくれた。
それだけのことで、しばらくぼんやりと
画面を眺めてしまった。

こうしてみると、
トップページの日付にも少しだけ意味が生まれる。
ブログの記事を書いた日付とは別に、
ホームページそのものを最後に触った日を残す。

記事を書いていなくても、何かを直している。
何かを追加している。サーバーの設定を変えている。
そのささやかな痕跡が、一行の日付になって現れる。
それでいいのだ。

風呂掃除をして腰を痛め、トイレ掃除を途中で放り出し、
ファミコン版『ドラゴンクエスト』を聴きながら
サーバーをいじっている。
我ながら、8月11日のあの日に始まったことにしては、
随分と妙なところへ来てしまったものだ。

ゲームからはすっかり遠ざかった。
けれど、サーバーをいじり倒すことそのものが、
今の私にとっては一番楽しいゲームみたいなものなのだから。

トイレ掃除も攻略済み。

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8/07/2026

ハードディスク40MBから、もう一度

2000年に購入したPower Mac G4。友人に譲り、設置したときの記念写真
   最近は夜な夜なホームページの
レイアウトをいじる日々だ。
我ながら苦笑した。

25年前に戻ったのかと思えば、いや、
本当は30年以上前から何も変わっていないのかもしれない。

ファイルを整理していたら、
2009年に書いた文章が出てきた。

「赤い日記帳」という、
2001年から続けていた
ホームページについて綴ったものだった。

あの頃の私は、誰かに読んでもらうためというより、
ただ自分の居場所をネットの片隅に置いておきたかった。

手打ちでHTMLを書き、ページを作る。
もちろん、すべてを一から作っていたわけではない。
配布されていたCGIスクリプトを借り、
掲示板やカウンターを設置した。

小さな部品を一つずつ集めながら、
自分だけの場所を組み立てていく。
その作業そのものが楽しかった。

まだスマートフォンという言葉すら、
今ほど身近ではなかった。
携帯電話でネットを見ることも、
一部のサービスに限られていた。

ネットの入口は、まだパソコンの前にあった時代。
個人ホームページがネットのあちこちに点在し、
それぞれが小さな世界を持っていた。

あれから長い年月が流れ、
インターネットの景色はすっかり変わった。

便利にはなった。
けれど私は相変わらず、
自分の場所を作る作業が好きらしい。

古いガラクタに少しずつ手を入れるように、
毎晩ホームページをいじっている。

今では遊びの範囲でCGIを使わせてくれるサーバーは、
ほとんど残っていない。
その代わり、JavaScriptが昔のCGIのような
演出を見せてくれる。

画面の中で何かが動く。
それだけで時間を忘れてしまう。

レイアウトを少し直しては表示を確認する。

リンクを書き換える。

画像を差し替える。

ファビコン一枚に何十分も悩む。

そしてFTPソフトを立ち上げる。

静かなサーバーへHTMLを送り、
返事の代わりにブラウザを更新する。
そんな小さなやり取りを繰り返していると、
不思議と昔の空気が戻ってくる。

気が付けば、記事を書くより
HTMLやCSSを眺めている時間のほうが長い日もある。
そんな夜が、案外楽しい。

思えば、昔からそういう人間だった。

33年前、40MBのハードディスクを7万円ほどで手に入れた。
今では信じられない容量だが、
当時の私にとっては大きな買い物だった。

目的は、アリスソフトの『ランス4』を遊ぶためである。
まだフロッピーディスクを何枚も入れ替える時代だった。

ゲームがハードディスクから起動する。
その速さには本当に驚いた。
しかし、気が付けばゲームそのものより、
DOSの設定をいじっている時間のほうが長くなっていた。

CONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATを書き換える。
少しでも快適に動くよう試行錯誤する。
メモリの空きを増やし、設定を変え、再起動する。

誰に褒められるわけでもない。
それでも、自分のパソコンが昨日より少しだけ快適になる。
それだけで十分に楽しかった。

結局、昔から「使うこと」より
「いじること」のほうが好きだったのだろう。

だから今も、ホームページを更新しているというより、
ホームページそのものを相手に遊んでいる
感覚のほうが近い。

訪れる人は皆無である。
代わりに、海外クローラーは時折やってくる。
それでも構わない。

ブラウザを更新する。
思っていた通りになっているか。
その返事を待つような気持ちで画面を見つめる。

「お、少し良くなった」

そう呟いて、一人で頷く。

33年前も、きっと同じような顔で
DOSの設定画面を眺めていたのだと思う。
人間というものは、案外変わらない。

パソコンの中身は、
いつしかHTMLファイルばかりになった。

しかし、それらは私にとって宝物である。
ファイルさえ残っていれば、パソコンを買い替えても、
サーバーの置き場所が変わっても、
また同じ場所を作ることができる。

誰かが用意した場所ではなく、自分の手元に残る場所。
昔から、そういうものが好きだった。

今日も、夜になるとHTMLを開き、少しだけ手を入れる。
30年以上前、DOSの設定をいじっていた頃と、
やっていることは案外変わっていない。
40MBのハードディスクを前にしていた頃と同じように。
そんな時間が、今でも心地いいのである。


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この文章を書くきっかけになった過去ファイル

2009年9月16日「あれから8年か…」

2009年10月24日「陰気くんの観察日和」

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7/20/2026

夏の入り口、ソースの香り

 先々週あたりから、夏が急に本気を出してきた。
サーキュレーターだけで
夜をやり過ごそうとしていたものの、
さすがに限界を感じ、寝るときのエアコンを解禁した。

今年は昨年や一昨年より少し遅かった気がする。
そんなことを考えながらリモコンの電源を押した。

そして今日、このあたりも梅雨明けした。
昨年は梅雨入りも梅雨明けもずいぶん変則的だっただけに、
今年はいつもの頃に
夏がやってきたことに少しほっとしている。

梅雨明け前のある晴れた日、
ふと思い立って川根方面へ車を走らせ、
家山の「たいやきや」へ向かった。

訪れるのは十年以上ぶりかもしれない。
店名のとおり、たい焼きが看板の店だが、
ラーメンや焼きそば、静岡おでんも並ぶ。

和菓子をほとんど食べない私は、
昔から焼きそばと静岡おでんを注文する。
この日も、その組み合わせは変わらなかった。

店内はエアコンがよく効いていた。
その涼しさの中で頬張る熱々のソース焼きそばは、
夏になると、不思議と美味しく感じる。

冷えた店内では、ソースの香りだけが強く印象に残った。
汗がすっと引いていく感覚も心地よく、
夏はこうやって始まるのかもしれないと思った。

この日もカメラを持ってきていた。
四月に一台買い足してから、
月に一度くらいはどこかへ出かけるようになった。
街を歩くことも多いが、
人が写り込んだ写真は載せにくい。

それでもシャッターを切るたびに、
その日の光や空気、
季節の匂いは、自分の中に残っていく。

写真に残せる景色もあれば、
文章だからこそ残せる景色もある。

写真には伝えきれない店内の涼しさも、
ソース焼きそばの香りも、
きっと今年の夏と一緒に思い出せる。

今年の夏は、
エアコンをつけて眠った最初の夜と、
家山で味わったソース焼きそばの香りから始まった。

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6/27/2026

雨に濡れても─百貨店と、予報の精度

 私の記憶では、
昔の天気予報は今ほど当たらなかったように思う。

もちろん、当時にも降水確率はあり、
予報技術も少しずつ進歩していたのだろう。
ただ、少なくとも私の暮らしの中では、
雨は今より少しだけ気まぐれで、
どこか運任せの出来事だった。

空模様を見て出かけ、途中で降られたら軒先に入る。
そんな時間の使い方が、
当たり前のように街の中にあった気がする。

雨の日、百貨店では、
「雨に濡れても」のインストゥルメンタルが
流れていたような記憶がある。

バート・バカラックが紡いだ、
軽やかで、少し肩の力が抜けるような旋律。

館内にその音色が流れると、私はふと窓の外を気にした。

本当に雨の日だけ流れていたのか、
それとも別の日の記憶まで重なっているのか。
それはもう確かめようがない。

けれど私の中では、その曲は館内の照明や、
ガラス越しに見える湿った街の景色と結びついている。

だから音楽が、天気を教えてくれていた。

それは気象情報ではなく、
街の空気がそっと知らせてくれる天気予報だった。

買い物の手を止める人がいて、少し急ぎ足になる人がいる。
誰かが傘を広げ、その様子を見てこちらも空を気にする。

そんな何気ない時間が、店にいた見知らぬ誰かと
静かに共有されていたような気がする。

今はポケットの中の端末が、
雨雲の接近を正確に知らせてくれる。
数十分先の雨まで分かり、傘を忘れることも減った。
予定も立てやすくなった。

便利になったことは間違いない。

その一方で、空を見上げたり、
街の匂いや人の動きから
雨の気配を感じ取ったりする機会は、
少しだけ減ったのかもしれない。

百貨店もまた、昔とは違う形で
天気と向き合っているのだろう。

営業を続けるか休むか。そこには、
雨雲レーダーだけでは測れないものがあるのかもしれない。

天気予報が正確になったからといって、
迷いまでなくなったわけではないのだろう。

街では若い人たちがスマートフォンを見ながら歩いている。

私も同じように雨雲レーダーを確認し、
降り出す前に傘を開くことが増えた。

便利さを受け入れながら、それでも、
ときどき空を見上げる癖だけは残しておきたいと思う。

そんなことを考えていると、雨上がりのアスファルトから、
ふとマスカットのような甘い香りが立ちのぼることがある。

土とも違う。花とも違う。

私には昔から、雨上がりの空気が
そんな果実の香りに感じられる。

その香りに触れた瞬間、昔の雨の日の記憶が、
不意によみがえる。

昔の雨が本当に今と違っていたのか、
それとも歳月が私の記憶を少しだけ優しく塗り替えたのか。
その答えは、もうどこにもない。

ただ、あの頃は予報が少し外れることも含めて、
雨というものを今より大らかに受け止めていたような
気がする。

効率や正確さを手に入れた今だからこそ、
ときには予報ではなく、街の空気や音楽が教えてくれる
雨の気配にも耳を澄ませてみたくなる。

かつて百貨店で耳にした、あの穏やかな旋律とともに。

今でも、「雨に濡れても」を耳にすると、
私は百貨店の照明を思い出す。
あの曲が本当に雨の日だけ流れていたのかは、
もう分からない。

それでも私の記憶の中では、
雨の百貨店にはいつも、あの穏やかな旋律が流れている。

ラベル:

6/24/2026

赤い車と冬の海

   2001年。まだインターネットの出会いというものに、
少しばかりの冒険の匂いが残っていた頃である。

掲示板で知り合った彼女とは、
何度かメールを交わしたあと、
沼津駅北口で会うことになった。

待ち合わせの時間より先に彼女は来ていた。
真っ赤な車だった。
その頃の私には少し眩しすぎる色だった。

自嘲気味に、ドラマの「冬彦さん」をもじって
「マザコン冬彦」などと名乗っていた私の目には、
ずいぶん都会的に映ったのを覚えている。

彼女は私の顔を見た瞬間、
ほんのわずかに表情を曇らせた。
理由は今もわからない。

後になって知ったのは、
彼女はビジュアル系が好きだった。

そう考えると、沼津駅北口で
置き去りにされなかっただけでも
運が良かったのかもしれない。

こちらだって緊張で
まともな顔をしていなかっただろうから。

それでも彼女は帰らなかった。
私は助手席に乗り込み、
車は静岡へ向かった。

途中、お巡りさんに止められた。

窓を開けた彼女が、
どこか面倒くさそうに、
それでいて妙に愛想よく、
少し投げやりに、

「OLでーす」

と答えた。

違反のやり取りが終わると、
彼女は少し不機嫌そうに、

「ムカつくなー。運転変わってよ」

と言った。

私は彼女の赤い車の運転席に座った。

ハンドルを握りながら、
赤なんて自分には似合わないなと思った。

その時、何を話したのかは覚えていない。
ただ、
「OLでーす」と答えた声だけが、
二十年以上経った今でも耳に残っている。

その後、私たちは時々会った。
年賀状を書き、
メールを送り、
たまに顔を合わせた。
そんな付き合いだった。

そしてよくCDを交換した。
彼女が貸してくれる音楽は、
当時の私なら自分から手に取らないものが多かった。

GLAYもそのひとつだった。
車で流しながら聴き、
返す頃には何曲か口ずさめるようになっていた。
そんな時間がしばらく続いた。

クリスマスが近づいた頃、
八景島シーパラダイスへ行こうという話になった。

女性とクリスマスを過ごすなど、
私には経験がなかった。
大層戸惑った。

今度は私の車だった。
彼女はGLAYのベストアルバムを聴こうといい、
そして出発した。
カーナビは付いていない車である。

デートの成否より、
ちゃんと辿り着けるかの方が気になっていた。

それでも何とか八景島には着いた。
どこの駐車場だったかは忘れた。

ただ、
少し離れた場所に停めたことだけは覚えている。

女性と遊園地に行った経験すらない男が、
いきなりクリスマスの八景島である。

しかし現実はそんなに甘くない。

最初のジェットコースターで、
私は完全に参ってしまった。

せっかく買ったフリーパスもほとんど使えず、
ベンチで海を眺めていた。

私はうなだれ、
彼女は隣で黙って携帯電話を弄っていた。

しばらくして彼女が言った。

「ケチケチすんな」

何のことだったのか、
もう覚えていない。
たぶんそういう言葉だった。

帰り道には案の定、道を間違えた。
八王子方面へ向かうつもりが、
気づけば再び金沢文庫方面の案内標識を見ていた。
要するにUターンである。

彼女は、

「ダメねぇ」

と呆れたように笑った。

私もつられて笑ってしまった。

人は痛いところを突かれると、
腹を立てるより先に笑ってしまうことがあるらしい。

彼女とはやがて疎遠になった。
理由はいくらでも挙げられる。
当時の私は友達でいることができなかったということだ。

もう少し肩の力を抜いて、
もう少し気長に付き合えていたらどうだっただろう。

そんなことを思わないでもない。

けれど不思議なことに、
顔より先に思い出すものがある。

沼津駅北口の風景。
真っ赤な車。
「OLでーす」と答えた声。
八景島のベンチ。
「ケチケチすんな」と笑われた午後。
そして車内に流れていたGLAYの「とまどい」。

曲が流れるたび、
あの頃の自分の不器用さまで一緒に蘇ってくる。
八景島で見た冬の海も、
まだどこかに残っている気がする。

ラベル:

6/23/2026

くちづけのその後と、一時間半後の電話

 2000年。
街にはモーニング娘。があふれていた。
店先の有線から流れ、
テレビをつければ誰かしらが映っている。

「LOVEマシーン」ほどの知名度はないかもしれないが、
「くちづけのその後」を聴くと、
私は今でも当時の空気を思い出す。

もっとも、その曲から連想するのは恋愛ではない。
なぜか、一本の電話である。

当時、同じ職場に新卒の事務員さんが入ってきた。
十九歳。
しかも当時の安倍なつみによく似ていた。
もちろん本人にそんなことは言っていない。
ただ、こちらの脳内では勝手になっち認定されていた。

ある日、その彼女から、
「先輩、パソコン教えてください」
と言われた。

今では想像しにくいかもしれないが、
当時はパソコンが少し使えるだけでも
重宝された時代だった。

気がつけば、教える場所は
職場ではなく私の部屋になっていた。

私は隣に座ってもらい、
フォルダの作り方やファイルの保存方法を説明し始めた。
それなりに真面目に教えていたつもりである。
ただ、途中から妙に時間が気になっていた。

彼女には彼氏がいた。
しかも私の家の近所に住んでいた。
顔見知りですらなかったが、
どこの家の人かだけは知っていた。

そんな事情もあってか、こちらは
ただパソコンを教えているだけなのに、
何となく預かっているような気分になっていたのである。

ひと通り説明が終わり、
こちらもようやく肩の力を抜きかけた頃だった。

携帯電話が鳴った。
彼氏からだった。
教え始めてから、およそ一時間半後。

もちろん偶然だったのかもしれない。
あるいは、
「一時間半くらいしたら電話するね」
そんな約束があったのかもしれない。
今となっては確かめようもない。

ただ、不思議なことに、年月が経つほどその
「一時間半」という数字だけが
記憶の中で輪郭を保ち続けている。

二十六年も経った今では、その彼女の声も思い出せない。
どんな服を着ていたのかも曖昧である。

それなのに、
「パソコンを教えていたら、
一時間半後に近所の彼氏から電話がかかってきた」
ということだけは、なぜか残っている。

「くちづけのその後」を聴くたびに
浮かぶのも恋愛ではない。

パソコンの画面。
机。椅子。
そして机の端に置かれた携帯電話。

そういえば、同じ頃によく耳にしていた
「ウソつきあんた」も、
恋人同士の駆け引きを歌った曲だった。

けれど私の記憶の中では、そうした歌の内容よりも、
一時間半後に鳴った一本の電話の方が
ずっと鮮明なのである。

曲の記憶というのは不思議なものだ。

歌詞そのものより、そのときたまたま見ていた景色や、
後になって意味を持ってしまった
些細な出来事の方が長く残る。

「くちづけのその後」を聴くたびによみがえるのは、
恋の余韻ではない。
二十六年前の机の上で鳴った、あの一本の電話なのである。

ラベル:

5/30/2026

誰も帰ってこなかった未来

 2025年3月。

夜の静岡駅周辺を少し歩いた。

昼間には気にならない広い道路や、
必要以上に明るい照明が、
夜になると急に別の街みたいに見えてくる。

人影はある。

車も走っている。

けれど、どこか現実感が薄い。

古いSF映画の背景画というか、
1960年代の人たちが想像していた未来都市というか。

少々とってつけたような話になるが、
この日、耳にはベンチャーズの『In Space』が流れていた。

信号は律儀に色を変え続け、
車は途切れることなく走っている。

それなのに、街全体は妙に静かだった。

写真を見返しているうちに、
アルバムの中でも
「He Never Came Back(帰ってこない男)」
が頭に浮かんだ。

あの頃の人たちが想像していた未来は、
案外こういう風景だったのかもしれない。

高層ビルが林立するわけでもなく、
空飛ぶ車が行き交うわけでもない。

それでも十分に未来ではある。

ただ、子供の頃に思い描いていた2025年は、
もう少し賑やかな場所だった気がする。

人々はもっと夜の街を歩き、
駅前には今より人の気配があり、
未来というものは少し華やかなものだと思っていた。

便利にはなった。

けれど思っていたのとは少し違った。

ただ広く、明るく、どこまでも整備された夜の街。
「Moon Child」の光に包まれたような雰囲気もいい。

けれど、この夜の静岡には
「He Never Came Back」のほうが似合う気がした。

誰かが帰ってこないのではない。

子供の頃に思い描いていた未来そのものが、
どこかへ行ったまま
戻ってこなかっただけなのかもしれない。

誰も待ってはいない。

誰も急いでもいない。

ただ静かな未来の夜だけが続いていた。

ラベル:

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