9/07/2025

サイゼリヤとへそ ──夜の街に立ち尽くす断章──


   夜になっても、街はまだ熱を抱えている。
アスファルトは昼の匂いを残したまま、
足元にまとわりつく。

しばらく外に出ていなかった。
歩いているだけで、腹が減った。

サイゼリヤに入る。
ひとりでいるには、ちょうどいい明るさと距離感がある。
誰にも注目されず、誰の輪郭もはっきりしない。

グラスワインを何杯も重ねるより、
デカンタ小を時間差で二度。
量は同じでも、テーブルの上は静かでいられる。
防御とは、だいたいこういう形をしている。

酒を飲むのは、酔うためじゃない。
雑踏のなかで、自分の輪郭を
少しだけ薄くするためだ。
この日の会計は、
トマトソースパスタ、
ハンバーグステーキ、
ほうれん草のソテー、
デカンタ小が二本。
税込1,400円。

店を出ると、夜気はわずかに軽い。
それでも足元の熱は、まだ動かない。

帰り道、立ち飲み屋「へそ」の前を通る。
突然、BGMが流れ出す。
「へそ、へそ〜♪ 立ち飲み処へそ〜♪」

涼しげで、陽気で、やけに大きな音。
その瞬間、ここには入れないと分かる。

いきなり鳴り出す音楽の中へ、
ひとりでふらりと踏み込む勇気は、もうない。
立ち飲みという行為も、
いつの間にか演出をまとってしまったらしい。

かつては、
ホップ、ステップ、ジャンプ、
そんな順番があった気がする。

今は、ステップの残響だけが残っている。
跳ぶ場所も、
着地する先も、
見当たらない。

街は涼しげな顔をして、
じわじわと熱を帯びている。

それでも、
信号は規則正しく変わる。

ラベル:

7/11/2025

照明と私と串カツ田中(せんべろ編)


   十年ほど前の晩、
マツモトという男と入った串カツ田中の写真が出てきた。
店内は薄暗く、壁も床も油の匂いがしみついていた。
串カツは安くて、少し重たくて、
それが妙に落ち着いたんだよな。

あのときの照明は、通天閣のふもとの空気を、
そのまま店に連れてきたような灯りだった。
あの光の下では、時間の輪郭が少しぼやけて見えた。

そんなことを思い出して、
昨日ふらっとその店に寄ってみた。
財布の中身と気分を天秤にかけて、
軽く一杯だけのつもり。
いわゆる、センベロってやつだ。
入ってみると、見事に様変わりしていた。
やたら明るくて、串カツ屋というより
今どきのカフェみたいだ。

「無限串カツ」なんて旗が立っていて、
小ぶりの揚げ物が無制限に食べられるらしい。
空腹には危険すぎる誘惑。
その心意気は悪くない。

けれど、誰でも入りやすいその裏には、
誰にとっても特別じゃないという空気があって、
ああ、そういうことか、と腑に落ちた。
串カツをかじりながら、ふと十年前の、
あの油っぽい静けさが恋しくなった。
暗い照明の下、誰にも見られていない気がして、
マツモトとどうでもいい話をしていた夜。
あれはあれで、悪くなかったな。

カウンターの向こうでは、感激してるでもなく、
退屈そうでもない顔のおじさんが、
黙々と串カツをつまんでいた。
……(たぶん、それが私だった)。
還暦か。いや、その手前か。
もうそのへんは、よくわからない。
というか、誰かに見てもらわないと、
自分がどっち側なのかも怪しくなってくる。
そんなことを考えていたら、
いつの間にか、ハイボールが一杯、
カウンターに置かれていた。

ラベル:

2/01/2025

耳を塞いだまま、街は変わっていた

 
   久しぶりに静岡駅近くのガストへ寄った。
注文用タブレットに「猫さん到着」の通知が浮かぶ。

なんでも可視化されて、
機械が教えてくれる時代になった。
その文字を見た瞬間、ふと、
ある午後の情景がよみがえった。

店内の少し離れたテーブル。イヤホンで耳をふさぎ、
スマホに沈み込んだままの女性。
その前で、所在なげに立ちつくす「猫さん」─

猫さんは、何度かそっと視線を送っていた。

「ねえ、こっちを向いてよ」と、
肩ごと話しかけるように。

けれど彼女は気づかない。
そこに見えない膜でも張られているようだった。

私は、ただ見ていた。
助けなくて済む距離を、どこかで保っていた。

──つめたいな。そう思いながらも、
もう咄嗟に声をかけられる年齢
でもなくなった気がしていた。

話が短すぎるのも芸がないので、少し寄り道をしよう。
(15年前の写真)

(現在の写真)
青葉シンボルロードで、15年前と同じ構図で写真を撮った。
写っているのは木と歩道と街灯だけ。
けれど、その中にこそ確かな「減り」があった。

静岡の街は、どこか薄くなった。
喫茶店も古本屋もレコード屋も、気づくと消えていた。
街の明かりは減り、人通りは静まり、
残ったのはガストとサイゼリヤ――そんな印象さえある。
安くて明るいのに、どこかしんとしている。

店内ではエアーポッズを耳に埋めた若者が、
無言でハンバーグをつつきながら動画を見ていた。
──これを「外食」と呼べるのだろうか。

せっかく街に出ても、
音も気配も、スープの湯気すら届いていない。

その足で「オマチ」を少し歩いた。
最近、ガールズバーがやたらと増えている。
以前はほとんど見かけなかったのに、
今では路地ごとの新顔みたいに並んでいる。

地元の観察者として、一度は見ておくべきかと思い、
社会見学のつもりで足を踏み入れた。

カウンターの向こうには、二十歳そこそこの女性たち。
会話とお酒が並ぶ、柔らかな空気。

けれどその途中に挟まれる
「一杯いただけますか?」
のひとことが、ふと現実へ引き戻す。
そこには癒しではなく、「値札の気配」があった。

若い男たちは、きっとそこに非日常を見るのだろう。
同級生とは違う、でも同級生のように
話しかけてくれる「女の子」─
それはたぶん、ちょっとした魔法だ。

でも私は、その魔法に入れなかった。
何を差し出せばいいのか、もう分からなかった。

街の片隅で、何者にもなれなかった自分だけが、
カウンターに置き去りになっていく気がした。

もし、こう尋ねられたら――

「昔の同級生に会いたいですか?」

私はきっとこう答える。
会わなくていいよ、と。

耳を塞いだまま、街は変わっていた。
気づくのは、いつも少し遅い。

ラベル:

1/28/2025

浪速手羽先と、飲んだ夜の約束──炭火焼きちんどん 静岡・昭和町


   葵区昭和町、江川町通り沿い。
白く塗られすぎた外壁が、街灯を
必要以上に跳ね返していた。
そのビルの一階に、「炭火焼きちんどん」がある。
これは、いまから十五年ほど前の写真だ。
フィルムではない。
たぶんミラーレスで撮ったのだろう。
細部はもう曖昧だが、それで十分だ。

浪速手羽先。
味わいは「世界の山ちゃん」によく似ていた。
舌先が少しだけ緊張する辛さ。
汗と食欲と、どうしようもない笑いが一緒にこぼれる。
本能のスイッチが音を立てて入る感じがした。

そして、間髪入れずにビール。
280円均一という値札に、財布より先に心がほぐれた夜。
「まずは、ちんどんで乾杯」
それが、いつしか仲間内の合言葉になっていた。

そこに行けば、誰かがいる。
顔を出せば、とりあえず笑ってくれる──
そんな景色が確かにあった時代だ。

山ちゃんがなぜ静岡に来ないのか。
風来坊より辛いあの味が、どうして
この街で定着しないのか。
理由はどうやら、家賃らしい。
地方都市が「都市らしさ」を保つための、
どこか皮肉な金額設定。

けれど、ちんどんはもう閉店している。
ビルはそのままでも、あの店の灯りはもうない。
友人たちと集まった場所が、静かに役目を
終えてしまったのだと思うと、
胸のどこかがすこしだけ空白になる。
思い出の場所がひとつ消えるたび、
街の地図がすこしずつ薄くなっていく気がする。

でも、あの夜の酔いが教えてくれたのは、
手羽先の再現性でも、店の事情でもなかった。

飲んだ勢いで交わしたような
くだらない約束を、
いまだに律儀に守ってくれる人がいる──
その事実だった。

そういう人は、たぶん信じていい。
酔いではなく、夜の奥行きの中で、
ちゃんと生きている人なのだと思う。

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1/25/2025

無口な変人、あっちイッテ ―葵区昭和町、イル・パパトーレ跡地にて―


   久しぶりに、静岡市葵区の昭和町を歩いた。
それは本当に、何の予定もない、気まぐれの午後だった。

偶然──というには少し
胸の奥を撫でるような、冷たい風が吹いていた。
感傷に浸るほどの余裕もなく、ただ歩幅だけが一定で、

街の音のほうが先に季節を運んでいく。

そんなとき、ふと気づいた。
あの「イル・パパトーレ」が姿を消していた。

かつて、週末のランチタイムに足しげく通った店だ。
気心の知れた女友達と並んで、
木目のテーブルを囲み、湯気のたつ皿を分け合った。
笑い声の輪郭が、まだ耳の奥に少しだけ残っている。

私の定番は、煮込みハンバーグ。
ほかのメニューには目もくれず、
ひたすらそれだけを頼んでいた。
なんとなく「浮気しない男」になった気がして。
……いや、ただ単に、あの味がしっくり
きていただけなのだけれど。

それにしても、この町に
足を運ばなくなって久しかったのは事実だ。
気づけば、別の街ばかりを歩いていた。
そのあいだに、景色のほうが先に
変わってしまったのだろう。

「さようなら」と言う間もなく、
音も立てずに消えていくもの。
そんな別れ方を、僕はもういくつも経験している気がする。
どんどん居場所が減っていく。
思い出の中にしか残っていないものばかりが増えていく。

最後に、ひと言だけ。

イル・パパトーレよ、ありがとう。
そして──なぜか頭に浮かんだのは、あの古いコピーだ。
お口の恋人、ロッテ。

……

無口な変人、あっちイッテ。
たぶん、どこかで誰かが、そんなふうに私を笑っている。

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7/24/2024

すき家の昼、ひとりの影

 
   静かな午後だった。
苦手な外食チェーンのひとつ、すき家に入ったのは、
SoftBankの30%クーポンと、暑さのなかで
どうしてもニンニクを補給したかったからだ。

思えば、一年ぶりの再訪になる。
ラーメン店のカウンターで感じるあの「居場所の狭さ」は、
ここでは不思議と薄い。家族連れが多いせいか、
席と席のあいだに適度な距離がある。

がらんとした店内の隅のテーブル席に腰を下ろすと、
壁に囲まれたその小さな領域が、
外食の苦手な自分をそっと守ってくれた。

メニューを見ると、以前はなかった
サラダセットが増えている。
迷った末、シーザーサラダと、夏限定の
「トリプルにんにく牛丼」を選ぶ。
暑いくせに、あえて豚汁をつけた。
少し長めのドライブでたどり着いた知らない町のすき家は、
ほんのささやかな遠出のようで、
空腹と辛さの汗が程よく混ざり合い、
思った以上に良い昼食になった。
店内は最後まで静かで、写真も気兼ねなく撮れた。
ただ、その静けさをふと揺らす出来事があった。

少し離れたテーブルに、年配の男性がひとり。
タッチパネルがあるにもかかわらず、
店員を大きな声で呼び、口頭で注文し、
しばらくするとまた変更を告げる。
それを何度も繰り返している。

視線を向けないようにしていたのに、
ふと目をそらした拍子に、どこか落ち着きの行き場所を
探しているような佇まいだけが心に残った。

なぜか、そういう振る舞いほど周囲にそっと響いてしまう。
人の気配というものは、
いつも思い通りには薄まってくれない。

食後、セルフレジでPayPayを使おうとしたとき、
店員は「ありがとうございました」
と言い終える前に、すっと奥へ姿を消した。

疑っているわけではないのに、
決済を見届けられないままレジの
前に取り残されると、どこか宙ぶらりんになる。

人と関わるのが得意ではない自分ですら、
こういう場面ではひっかかるのだから、
人間というのはつくづく不思議だ。

ふと思う。
ドライブスルー──マクドナルドも、ロッテリアも、
ケンタッキーも、車に乗ったまま注文するあの世界は、
どうしても想像の段階で怖い。
外食のいくつかは克服してきたはずなのに、
そこだけはまだ遠いままだ。

今日のすき家は、誰にも邪魔されない
静かでやわらかな時間だった。
その風景の片隅に、こちらの気配も
また、しずかに溶け込んでいた。

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6/03/2024

山岡家について


   淡々と担々麺、ではない。
淡々と、山岡家のラーメン。

今週のクーポンは、海苔五枚。
醤油ネギラーメン。
白髪ネギを足す。
硬め、濃いめ、脂は普通。

厚くて平たいチャーシューは、どうも選ばない。
ころころした肉が残る、ネギラーメンのほうがいい。

以前は味噌ばかり食べていた。
最近は、気がつくと醤油に戻っている。

今日は普通盛。
丼が少し小さい。
それだけで、落ち着く。

胡椒とニンニクは、ネギの上。
スープには入れない。
白髪ネギのごま油の匂いが、残る。
それで、しばらく他の店に行かなくなる。

海苔は浸して、巻く。
それ以上は、書かない。

山岡家は、家から少し遠い。
その距離が、ちょうどいい。

焼津店の、端のカウンター。
話さなくていい席。

塩分も脂も、今日は数えない。
空腹が収まって、
帰り道のハンドルが軽い。
それで、いい。

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2/27/2024

夜を無事に終える練習――山岡家にて


   ラーメン屋と牛丼屋が、どうにも苦手だった。
理由はいくつも思いつくが、結局のところ、落ち着かない。

椅子は固定され、隣との距離は近い。
皆、器に顔を落とし、ほとんど会話もなく食べ、
すぐに立ち去る。
その背中の流れを見ていると、自分まで
管理されているような気分になる。

二〇一八年頃から、酒の飲み方を大きく誤った。
家でも外でも歯止めがきかず、夜の舗道に顔から倒れ、
血を流したことも一度や二度ではない。
冗談ではなく、先に壊れるのは身体だと、
ようやく理解した。

それで、ある年の初夏から、
夜に飲む代わりに車を走らせるようになった。
目的地は決めない。
疲れたところで、名前だけは聞いたことのある郊外の
ラーメン屋や定食屋に入る。
苦手な場所に、わざわざ身を置くための運転だった。

山岡家に入ったのも、その流れだ。
「臭い」で知られる店だが、私には何も感じなかった。
先天的な慢性副鼻腔炎で、匂いについては
最初から信用していない鼻をしている。
限定の旨辛スタミナらあめんを、中盛りで頼んだ。
年甲斐もなく豚バラチャーシューを追加し、
薬味ネギも増やした。
器が大きく、そのままだと妙に間が抜けて見えたからだ。

結果、油は重すぎた。
スタミナをつけるつもりが、食後はただ疲れ、
西へ向かう予定をやめて、そのまま自宅に戻った。
これは店のせいではない。
若ぶった選択をした自分の問題である。

山岡家は、自宅から二十キロ以上離れている。
近所にないから、行くこと自体が小さな旅になる。
苦手だったカウンター席にも、少しずつ慣れてきた。

店内には、バッグを置く場所がない。
その不便さへの対処として、カラビナ付きの
小さなポーチを使っている。
スマートフォンと決済手段だけを下げる。
驚くほど、身軽になった。

昨年は花月嵐にも通った。
だが、あまりに近所すぎる店は面白くない。
知っている風景は、自分を映さない。
磐田や藤枝まで車を出した。

ひとりで山岡家に入ることが、ようやく恐怖でなくなった。
それは「おひとり様がサマになる時代」だからではない。
ただ、飲まずに帰れる夜が増え、
身体が静かになっただけだ。

今も完璧ではない。
調味料の使い方も、まだよく分からない。
それでも、血を流さずに夜を終えられるなら、それでいい。

ラーメンを食べに行っているようで、
実際には、生活を続けるための練習をしているのだと思う。

ラベル:

10/11/2023

ケチ飯ロード──都市の構造材としての吝嗇


   しばらく更新を怠っていた。
理由はない。移動ばかりしていて、

書こうと思えば書けることはいくらでもあった。
けれど今日は、どうにも気持ちの輪郭が定まらない。

だから、ただ記録だけを残しておく。
都市の片隅で拾った、ケチ飯の覚え書きとして。
ガスト。
ロードサイドに無言で佇む、日常の骨組みのような店だ。
骨組みは普段意識されないが、それなしに
街は立ち上がらない。

今朝届いたチラシには半額クーポンが載っていた。
文字は派手だが、胸が高鳴ることはない。
冷静に眺めれば、マルゲリータピザだけが

一皿としての面目を辛うじて保っていた。
蒸し鶏とキノコのサラダも、ほんのわずかに
安くなっている。

同じ内容のクーポンはスマホのアプリにもある。
紙のチラシの特別感は、街の雑音の中ですぐに溶けてゆく。
結局、この二つだけが今回のケチ飯ロードの収穫だった。
どこかのテレビ番組が追いかける旅する
絶滅危惧メシとは違う。
こちらは、都市の構造材としての吝嗇を

ただ静かに記録する、ひっそりした道のりだ。
吝嗇は貧しさではなく、
生活を支えるための小さな選択の積み重ねである。

ひとつ、小さな話を。
ドリンクバーは税込百五十円。
ただ、ある問いに正しく答えれば税込百円になる。

昭和四十年を西暦で言うと 一九六五年。

その数字をタッチパネルに入力するだけで、
ひとときの飲み物が、さらに五十円安く手に入る。
誰にとっても取るに足らない、
忘れればそのまま消えてしまう数字だ。

けれど、こうした小さな数字の差が積もる場所で、
人はなんとか生活を形づくっていく。

都市に生きるということは、
そうした微細な抵抗の上に立ち続けること
なのかもしれない。

今日のケチ飯ロードは、静かな灯のようだった。
誰に見えなくても、消えずに燃えているものがある。

ラベル:

9/10/2023

祢宜島、ラーメン屋の椅子は動かない


   焼津の夜は、湿り気を帯びた風が、
街の表面をそっと撫でていた。

金曜日。仕事帰りの身体に
微熱のような疲れを残したまま、
「祢宜島(ねぎしま)」という地名に
引っ張られるように、カナキン亭本舗へ向かう。
読み方を看板で初めて知り、心の中でひとつ頷いた。

この店には2017年にも一度来ている。
焼津の現場勤めの頃、
休日出勤の昼休み、同僚に連れられて入った。
ラーメン好きの彼らに囲まれ、

社会人の作法のように、一番安い一杯を頼んだ――
その程度の記憶だけが、ぼんやりと残っている。

六年ぶり。
今度は一人で、自動ドアの前に立つ。
ラーメン屋はどこも段取りが早く、昔から少し苦手だ。

カウンターへ向かおうとした時、店員の声が飛んだ。
「何人? 券を発券してっ!」
空気がすこし裂けた。
そういえば券売機の店だった。
だが視界には見当たらない。右を見ても左を見てもなく、
壁際の陰にひっそりと佇んでいるのを、ようやく見つけた。
 
本当はプロペラ麺を押すつもりだった。
だが指先は隣のチャーシュー麺に触れ、
機械は容赦なく反応した。
訂正の手段もなく、ただ立ち尽くす。

席に腰を下ろすと、椅子はびくとも動かない。
吉野家でよく見る、逃げ場のないタイプだ。
座り直すこともできず、自然と背筋だけが正される。
「ご飯、入る?」
おばちゃんに声をかけられる。無料の白米らしい。
ラーメンに白米の組み合わせは初めてだ。
花月嵐のブタメシとは違うらしい。
せっかくなのでお願いする。

店内は空いていた。
2017年は座敷の奥に押し込まれて落ち着かなかったが、
今回は広いカウンター席。
注文してから提供までの速度も、相変わらず早い。

チャーシュー麺が届いた。器の下には受け皿。
まるで日本酒のような佇まいだ。
仕切り壁の向こうから、
おばちゃんがそっと右側に置いてくれる。
その慎ましい気遣いに、小さく胸をなで下ろす。

スープをひと口。酸味が立っている。
豚骨ばかり食べてきた舌には、初めての風だ。
麺の種類に特別なこだわりはない。
口の中で渋滞しなければ、それでいい。

胡椒を振ろうとするが、うんともすんとも言わない。
蓋の構造も分からず、あきらめてニンニクと酢を少しだけ。
酸味の強いスープに酢を足すのは、少しやりすぎだった。

帰宅してから、唐辛子入りの酢があったことに気づく。
あの赤い瓶は飾りではなかった。

プロペラ麺は辛いと聞く。
今日は汗だくになる気分でもなかったので、
誤ってチャーシュー麺を選んだのは、結果的に正解だった。
チャーシューは大きく、厚みがあり、静かな満足があった。
 
カナキン亭は他にも店舗があるが、
造りも人も違うだろう。
戸惑いを避けるためにも、
しばらくは祢宜島店に通うつもりだ。

お冷のセルフにも苦戦した。
氷がドバドバ落ちてきて焦った。
水の位置を確かめる余裕もなかった。
それでも、ラーメンは確かに美味しかった。
緊張と不器用さを抱えたまま、それでも食べ終えた。

誰も気にしていないはずなのに、
六年前の自分が、どこかでじっと
こちらを見ている気がした。

ラベル:

8/26/2023

嵐げんこつらあめん──藤枝の夜に


   木曜の夜、藤枝まで車を走らせた。

この夜は、銀次郎ではなく、嵐げんこつらあめん。

風呂あがりだったこともあり、
食べれば汗をかくのはわかっていた。
それでも、胃にジャンクなものを
落としたい衝動のほうが勝った。

案の定、汗は止まらない。
小さなハンカチでは追いつかず、
それでも後悔はしなかった。

蒸し暑さが続く夜だった。
辛いものは好きだが、湿気には弱い。
そのくせ、壺ニラもやしを二人前頼んでいる。
最初は素のまま。
次に胡椒。
秘伝のタレ。
にんにく三片。
このあたりで、汗は限界だった。
肝心の壺ニラもやしを
入れ忘れていたことに気づいたのは、
もう終盤だった。
空腹に押され、
猫舌のくせに早食いしてしまったせいだ。
量は、少なく感じた。
胃より先に、気分のほうが満腹になっていた。

ラーメン屋にいると、
いつもどこか、身体の置き場が決まらない。

それでも最近は、
避けていた場所に自分から足を向けている。
理由はよくわからない。

この夜は「ぶためし無料」を使ったが、
腹は完全には満たされなかった。

ただ、七百八十円で済んだ、という数字だけは覚えている。

夜明け前の空気を吸い込みながら、
朝風呂に入って、もう一度眠り直すのも悪くないと思った。

ラベル:

8/20/2023

銀次郎と、ぶためしの午後


   まず、丼が運ばれてくる。
肉増しの姿は妙に威風堂々としていて、
しばらく眺めていたくなる。

スープを蓮華ですくう。穴の空いていない方で。
当たり前のことなのに、なぜか一度、確認したくなる。

最初は何も足さない。すっぴんの一杯を確かめる。
それから卓上の調味料に手が伸びる。順番は決めていない。
胡椒で輪郭が荒くなる。
ゆかりを散らすと、後味がふっと澄む。
意外だが、よく馴染む。
にんにくは三片。
少し欲張った。二片でよかったかもしれない。
その小さな後悔も、この丼の一部だ。

終盤、酢を落として軽くする。
最後まで、気分が少しずつ動く。
そして、ぶためし。
無料の選択肢が並んでいても、迷わずこちらを選ぶ。
残った壺ニラに一味と酢。
小さな丼が、きちんと一品になる。

勘定は1,020円。
安さよりも、「きちんと味わった」という手応えが残る。

この「ただ」を思い出すたび、また行きたくなる。

ラベル:

12/20/2021

青菜の炒めを覚えている――インドカレーハウス チャイ 呉服町店


   十一月最後の土曜日、夜の静岡伊勢丹近く。
事前に予約を入れ、友人と二人、こぢんまりとした
インドカレーハウス チャイへ向かった。

こうしたタイプのカレー屋に、普段はあまり足が向かない。
けれど、割引の存在を知ってしまえば、
たまには趣向を変えてみるのも悪くない。
メニューを開くと、
昼向きの店かもしれない、という印象を受けた。
夜の営業は遅くまでではなく、確か二十二時頃までだった。
まずはビールとワインで乾杯する。
一枚目の写真はビールに、二枚目はワインに、
それぞれピントを合わせた。
お通しは、薄く乾いたナン。
煎餅のようでもあり、少し冗談めいた見た目から、
心の中で「ナンのミイラ」と呼んだ。

それをかじりながら飲むビールは、久しぶりの苦味が、
身体にゆっくり染みてくる。
 
ああ、これでいい。そう思える時間だった。
ネパールサラダのあと、
カレーとナンのセットが運ばれてきた。

チーズナンは、想像していたよりも大きい。
一切れで、もう満腹に近づく。二人で分けて正解だった。

カレーは中辛。それでも、十分に辛い。
おかわり自由のナンは、この日は遠慮しておいた。

それでも、もう少し飲みたい。
ビールからワインに切り替え、
セットについていた青菜の炒めを、単品で追加した。
これが、思いのほか良かった。
どこかで知っている味とは違う。
サイゼリヤのほうれん草ソテーとも、まったく別物だった。

値段は四百五十円。
この皿だけをつまみに、ゆっくりワインを飲む時間を、
また持ちたいと思った。

会計は、市の還元キャンペーン期間中で、少し得をした。

滞在は二時間。
店の奥の六人掛けのテーブルに腰を落ち着け、
座り心地の良さに甘えて、つい長居してしまった。

今年はもう行けそうにない。
けれど、あの青菜の炒めのために、
来年、もう一度訪れたい。

ラベル:

10/25/2021

サイゼリヤの復権


   緊急事態宣言が解けたその日、
私が真っ先に向かったのはサイゼリヤだった。
あの安ワインを、店の空気の中でまた飲める──
それがどれほどの喜びだったか。

二か月ぶりの酒だ。
家で飲んでも悪くはない。
けれど、外で飲む一杯のあの微かな緊張、
うっかり何か失敗してしまうかもしれない、
あのざらついた感覚こそ、私には必要だった。
席に着くや、迷わずハウスワインを頼む。
サイゼリヤでは、これを飲まなくては始まらない。
合わせるのは、爽やかにんじんサラダと
柔らか青豆の温サラダ。
オレンジと緑が赤ワインに寄り添い、目にも鮮やかだ。
──こういう幸福の形もある。
さらにカリッとポテトを追加し、
締めにはペペロンチーノ。
「アーリオオーリオペペロンチーノ」と
会話で正式名称を言い切る勇気だけは、
まだ手元にない。

こうして、二か月ぶりの
ひとりサイゼ宴は静かに幕を閉じた。
普通の居酒屋よりずっと安く、
きちんと満たしてくれる。
やはり、この店が好きだ。

注文用紙にボールペンで書く、
あの少し古めかしい方式だけは、
時々笑ってしまうけれど。

そういえば、
「サイゼリヤ」を「サイゼリア」と
間違える人が意外に多い。
なぜなのだろう。
ワインのグラスを指先で回しながら、
ふと考え込んだ。

ラベル:

10/22/2021

血は少し油っぽくなっただろう


   かつて、ラーメンは苦手だった。
麺がのびる前に食べねばならず、
ゆっくり会話を楽しむ余裕がない。
そのせわしなさが、どうにも性に合わなかった。
 
だが、友達がいなくなってしまえば話は別だ。
おしゃべりの相手がいなければ、
時間を気にせず、ひとりで食べるしかない。
そうなると、ラーメンは案外都合がいい。
 
そんな流れで、
このところすっかりラーメンの人になってしまった。

ある日、ふと入った家系の店がある。
小ぢんまりした店内は、二度訪れたが、
どちらもほぼ満席だった。
チェーン店らしいが、それはもう
気にする理由にならなかった。
十四日に食べたのは、豚骨味噌ラーメン。七百円。
 
スマートフォンを使えば早いのだが、
わざわざトートからオリンパス・ペンを取り出して撮る。
狭いカウンターで、少し無理な姿勢になりながら。
 
この店には、スープを飲み干すと
「まくり証明書」なる紙片をくれる仕組みがある。
身体によくないな、と思う。

それでも、結局は飲み干してしまった。
きっと、血は少し油っぽくなっただろう。
そして十九日、また同じ暖簾をくぐっていた。
その日は味玉ラーメン。八百円。

前回よりも幾分あっさりしていて、
苦労せずにスープを空にした。
罪悪感よりも、満腹の余韻のほうが残った。
 
気づけば、まくり証明書は二枚になっていた。
また近いうちに、一杯すすりに行くのだろう。

ラベル:

9/21/2021

晩酌が似合わない年頃なので外で飲んできた


   今回の写真も、まん延防止や緊急事態宣言
が出る前のものだ。
場所を隠すつもりはないけれど、店主いわく
「一見さんお断り」らしい。ならば、
そこはそっと伏せておく。
そもそも、自室でひとり晩酌というのが、
どうにも板につかない。
酒に向き合うと、自分の機嫌の悪さや、甘さのようなものが
そのまま浮かび上がってしまう気がする。
だから飲むときは、外の空気に紛れたほうがいい。
振り返れば、7月はずいぶん贅沢をした。
カメラを新調し、旨いものを腹いっぱい食べた。
その反動で、今はカップ麺で帳尻を合わせている。
写真を見返すと、また外に出たくなるのだが——
懐のほうは、長雨のあとみたいに重たくて、動きが悪い。
しばらくは、おとなしくしているしかない。

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